ハンセン病からの解放
~生き直しコンサート~

宮里新一
みやざとしんいち

音楽

宮里新一
みやざとしんいち

シンガーソングライター
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提供する価値・伝えたい事

“らい予防法”は44年間の歳月を経て、1996年に全面廃止された。
2001年5月、「ハンセン政策の国の違憲性を問う裁判」で原告勝訴。国が過ちを認めた。

その後、ハンセン病回復者は真にハンセン病から解放されたのか。
ハンセン病回復者・宮里新一は、ハンセン病回復者であることを公表して舞台にたつ。
ハンセン病からの真の解放のための“生き直しコンサート”。

隠して生きることは、もうやめよう。
真に解放されるためには、ハンセン病とともに生きてきたこの人生を
まるごと肯定することからしか始まらない。
隠さず、否定せず、これまでとこれからを全て受け入れる。
ありのままの宮里新一を生きるために歌い続ける。

内 容

◎ギターの弾き語りコンサートです。
◎曲間では、詩に込めた想いや願い、自身の人生観を語ります。

【2001年9月21日 桝屋厚労副大臣を前に読み上げた陳情書より一部抜粋】
私は今からでもCDを作るぞと決心しました。音楽仲間を訪ね歩き、みんなに今まで秘密にしていた病気のことを打ち明けました。みんな驚き、そして励ましてくれました。

私はハンセン病から解放されたい。私はハンセン病の中の歌ではなく、ハンセン病から出ていく歌を作りたい。
〜中略〜
音楽が聴く人がいて初めて成り立つように、理解のない社会では、生きていくのは難しいです。
ぜひとも、真に人々を解放する政策を実現して下さい。我々も社会で努力します。


【曲目例】 (以下、歌詞の一部抜粋)
■無 題             作詞・作曲:宮里新一
寂しさの部屋で一人悲しんで遠い世界に導かれる
君は愛しの人生の花束を 見ることもなく消えた
  *白血病のために17歳で亡くなった友人に思いを寄せて作った詩。彼女の死をきっかけに、
   宮里新一は詩作を始めた。   

■強者の号泣           作詞・作曲:宮里新一
嗚呼 人のために歌っていることよりは
自分を生かすために歌っているはずなんだ
〜中略〜
慰めの言葉と涙が欲しくて
僕は今日まで歌って来たんじゃない

自分が生きてくために強がっていたのかもしれない
でも僕の胸には温かい詩(うた)がある
自分で作った自分の詩(うた)
自分で歌い自分で消そうか
〜中略〜
これが僕の毎日の暮らし
生きてる証になるだろうね

■マイペンライ(「大丈夫だよ」の意)  作詞・作曲:宮里新一
悲しいくらいに何もなかった僕に
風は冷たかったよ 心を引き裂くほど それでも
マイペンライ 大丈夫さ マイペンライ 大丈夫さ
               

■永遠なる序章  作詞・作曲:宮里新一
手を差し伸べたこの僕の手を友は振り切って去った
こんな人々の中で生きてゆくのは嫌だよと
裏切りの人の中で 僕は今日まで生きていたというのか
こんな人の街で生きてゆくのはおかしいことなのに
嗚呼 友よ 僕は生きていると叫びたいだけなんだ

■サヨナラ 僕の哀しい詩(うた)よ  作詞・作曲:宮里新一
若かったと言えば それで済むけれど
でも僕にはそれだけじゃない
ふと振り返る人生に 生まれ変わろうと願っていたんです
サヨナラ 僕の深い哀しみよ
サヨナラ 僕の哀しい詩よ
すべて歌となれ風となれ 爽やかな風になれ

■時間をください           作詞・作曲:宮里新一
温かな人の中で生きていくのは 遠い昔のことだと思ったよ
何もかも過ぎ去った少年の日々 泣き虫の僕が歌を歌っている
僕の故郷に何かが起こる前 僕は一人離れて生きていた
〜中略〜
一人になりたくて 一人になれば悲しむことも
一人で背負えばそれですべてが済むんだと思ったよ
だけどやっぱり心はいつも空しさがよぎる
何をやっても満たされない心が住んでいたよ

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