提供する価値・伝えたい事
夫(映画監督の大島渚氏)が1996年突然仕事先で脳出血で倒れ、その後リハビリに取り組み、3年後には映画を撮るまでに回復。その2年後受けた開腹手術で生死を彷徨う時期があった・・・。
5ヶ月余りの入院、退院後の介護度5の夫を支える生活の中で、如何に楽しく気持ちよい一日を過ごせるかを考えながら過ごす日々・・。
まず夫がいかに気持ちよく生活できるかを第一に考え、それと同じく介護する側も健康であり、趣味等を楽しむ時間を持つことの重要性をお話します。
内 容
■忘れられない冬の朝
1996月年2月21日の朝は忘れられません。わが家のある神奈川県藤沢市に珍しく大雪が降り、生まれて初めて雪かきをして、夫(映画監督の大島渚さん、68歳)を送り出したんです。日本映画について講演を頼まれ、3日ほどの日程でイギリスへ出かけていきました。
ところが、その日の夕飯の支度をしている最中でした。ロンドンの大使館の方から国際電話があって、いきなり「ご主人が倒れました」。空港に到着後、突然意識がなくなり、病院に運ばれたというのです。脳出血の後遺症で右の手足、そして言葉にもまひが残ってしまいました。
■リハビリ生活から見えてきたこと
それからリハビリの日々が始まります。家族のだれかが体が不自由になると、不便を感じることなどなかった家が、車いすやつえの必要な人には実はとても住みにくいことに気づくはずです。リハビリは長期戦の覚悟が必要です。それで、夫が過ごす一階の部屋は居心地がいいよう、夫のお気に入りの大きな木製テーブルといすを置きました。重くって、夫がお手洗いに立ったりする時、私がヨイショと引いたり押したり。それが実は今も難点なのですが……。
■必ず仕事に復帰してやる!
脳卒中で右の手足がまひしただけでなく、言葉も不自由だったんです。「頭の中にはあるけど、話そうとすると出てこなかった」そうです。記憶と言葉が結びつかないのでしょう。「パパ、お庭に梅が咲いてるわ」とか、いろんな名前を言って思い出させるように努めました。
努力が実ったんでしょう。紙コップの訓練は「5段できたら卒業」と言われましたが、しばらくして3段くらいまでいくようになって。私もうれしくて涙が出そうでした。仕事に絶対復帰するんだという強い意志が、夫を支えていました。残っている力で、精いっぱい生きようと、夫は気持ちも切り替えていきました。
業務外の講師への取次は対応しておりません。