3人の子どもを一人で育てながら、経営者としての顔を持つ馬場加奈子さん。
次女が小学生の時「新しい制服が購入できない」といった困りごとから、学生服リユースを思いつき、2010年に全国初の学生服リユースショップ「さくらや」を開業。
高齢者や障がい者の雇用の場を創出し、今や全国各地に90箇所のパートナーショップを抱え、年間3.3億円の売上を生み出す巨大産業にまで成長させました。
馬場さんが提唱する「地域共感型ビジネス」、そして底知れぬパワーをもつ馬場さんのバックボーンについて詳しくお聞きしました。
■目次
「家族優先」馬場加奈子さんの原点
――まずは馬場さんのバックグラウンドについてお聞きしたいのですが、どのような家庭環境で育たれたのでしょうか?
馬場 父が消防士、母が保育士だったんですが、私が小学校の時、父が会社の中古車販売業を始めました。学校が終わったらお店に行って手伝うこともありました。小さいころから、忙しく働く父と母の背中を見て育ったので、起業マインドはそのころに育まれたのだと思います。
忙しい中でも母はしっかりと食事を作ってくれましたし、家族が一緒にいられる時間も多かったです。
――「さくらや」の家族優先という姿勢はそのようなところからきているのでしょうか?
馬場 そうですね。シングルマザーになってから一時期保険の法人営業をしていた時期があり、忙しくて家族との時間がとれなくなりました。そんな時に、忙しくても家族との時間を大切にした母親の姿が思い出されました。それに、長女が知的障がい者なのですが、この子の就職先が心配でした。だから、家族との時間をしっかりととり、長女の就職場所をつくるためにも、自分で起業するしかないと思いました。
――それが起業の動機となったわけですが、それでは制服のリユースに着目したきっかけは何だったのでしょうか?
馬場 離婚して3人の子どもを1人で育てる中、下の子が赤ちゃんだったとき、働くこともできなくて電気やガスが止められるくらい極貧生活に陥った時期がありました。法人営業を始めても、日々の生活でいっぱいいっぱいでした。
香川県は小学校でも制服があって、毎年制服を新調しなければならない状況にありました。その時は、新しく制服を作るのに1万6,000円必要でした。当時、次女は小学6年生でしたが、育ち盛りですぐに着られなくなります。
昔は近所の人からお下がりをもらっていたので、だれかからおさがりをもらおうかと思いました。しかし、当時の私は仕事が忙しく、小学校や地区の行事にもいけなかったので、おさがりをもらう知り合いもいませんでした。
どこかで中古の制服が売ってないかな?
そう考えたときに、どこにもないことに気づきました。ないのだったら、自分が作ろう、ということで、制服のリユースを始めました。
――制服のリユースを始めて、家族との時間はとれるようになったのでしょうか?
馬場 それが事業が軌道に乗るまでは制服の回収から洗濯、販売まで1人で行っていたので、逆に仕事が忙しくなって、子どもたちと接する時間が少なくなりました。私が家で作業していると、子どもたちが話しかけてくる、そうしても「後でね」と言いながら、話せなかったり…。貧乏な時代は一つのお菓子をみんなで分け合って一緒に話せる時間もたくさんありました。それが起業してからさらに忙しくなり、子どもたちとの時間がなおざりになってしまいました。これでは本末転倒だと思って、店の営業時間を見直しました。
――営業時間は何時から何時までなんですか?
馬場 子どもが帰宅する時には家で「ただいま」といってあげたかったので、10時から午後3時までで、しかも月火水金曜の週4日という考えられない営業時間なんですよ。
――現在でも家庭中心の勤務時間なのでしょうか?
馬場 そうです。また下の子が高校生で、毎朝お弁当を作ってあげています。子どもを送り出してから勤務開始できるように勤務時間帯をスケジューリングしています。
周囲から「商売にならない」と言われた制服のリユース
――制服のリユースは全国初ということで創業当時苦労も多かったのではないでしょうか?
馬場 結婚する前は保険の営業をしていて、結婚後は専業主婦をしていました。しかし、離婚してから、下の子が小さかったのでしばらくはチラシ配りと母子手当で生計を立てていました。寒い日にベビーカーを押して、ピザ屋のチラシ配りをしたり、時々家族みんなで配ることもありました。チラシ配りの収入は月にせいぜい3,000~5,000円程度。でも、それだけでは食べていけずに、保険営業に復職することにしました。「いつか起業する」という夢があったので、経営を学ぶために、経営者の方と知り合える法人営業を希望しました。
営業先で知り合う経営者の方々に、制服のリユースについていろいろと相談したのですが、いろんなところで「商売にならない」と言われて…。
周囲のお母さんたちにも聞いてみたのですが、当時は制服のリユースがなかったので「だれが着たのかわからない制服なんて信用できない」というようなネガティブな反応しか返ってきませんでした。
――そんな批判的な言葉が多い中、諦めようと思ったことはなかったのでしょうか?
馬場 それがですね、子どもを持つ複数の同僚に制服のリユースについて聞いてみたところ、「自分の子どものおさがりをだれかにあげたいのにあげる先が見つからない」など意外な声をもらいまして…。それから、地域のお母さんたち100人にアンケートをとりました。すると、「あったら嬉しい」というような声をたくさんいただきました。やはり自分が考えたことは間違いないと確信しました。
それで、最初は自宅を拠点に創業しました。しかし、無店舗ではなかなか信用が得られないので、自宅近くに13坪の店舗を借りることにしました。1ケ月12万円の家賃だったのですが、子ども3人抱えて払うのは厳しいなと…。なので大家さんに「これは地域のお母さんたちのためになるから」と3回ほど値下げ交渉に行きました。そしたら何と6万5000円で借りられるようになりました。11年たった今でも同じ家賃で営業しています(笑)。
――すごい行動力ですね。
馬場 そうなんですよ。色んな社長さんから「新しいことを始めるときはとにかく諦めたらあかん」と言われました。何か信念をもって続けていると周囲もちゃんと理解してくるようになると…。だから、何でも諦めないことが一番ですね。
週4日、10〜15時という営業時間に関しても経営者の方からいろいろと言われました。それでも6年間続けていくと、「お母さんに優しい」「働き方改革や」と言われるようになり、以前は批判的だった会社から「働き方改革について話をしてくれ」と講演に呼ばれるようになりました。最初はいろいろと叩かれましたが、今では自分のやり方を続けてきて良かったなと思っています。
▲馬場さんの活動を伝える動画
――日本はまだまだ欧米諸国に比べると女性が働きやすい環境ではないと思います。
馬場 そうですね。お母さんたちは仕事と子育てに家事、それに加えて介護などそれ以外の仕事を背負っている人たちもいます。そんなお母さんたちに代わって、私が企業に行き、講演でお母さんたちの仕事がどれだけ大変かを代弁してあげると、上層部の人たちにも「そんなに大変なのか」と気づいてもらえることもあります。そんな時にやりがいを感じると同時に、今後もお母さんたちの代弁者となって声を出していくことが大切なんだなと思っています。
地域を巻き込んだ「さくらや」の経営モデル
――最初始めた時は、すぐに制服も集まったのでしょうか?
馬場 まずは近所から「制服買います」と書いたチラシを作って、1日200枚を目標に家族総出で配布しました。そうすると、すぐに制服が集まってくるようになりました。集めた制服は、名前の刺繍を取って、洗濯しなければなりません。自宅で24時間休まず洗濯機を回して干すということを繰り返していたところ、長女の障がい者施設で簡単な箱詰めをしているところを見かけました。
洗濯機を回して干すことなら、この子たちもできるかもしれない。
そう思って、施設長に相談しました。「この子たちの工賃が上がるなら」とすぐに賛同いただき、洗濯の工程は長女の施設で依頼することになりました。
私の時間もできるし、障がい者の子たちの雇用の場となるので一石二鳥です。
最近では、この子たちから「この洗濯した服はだれが着んの?」とか質問されることがあり、この子たちも働きがいを感じてくれてると思って嬉しく感じています。
それから、名前の刺繍取りに関しても地域のおばあちゃんたちにお願いしています。私が店で必死に刺繍取りをしていたときに、近くのおばあちゃんが孫を連れてやってきて「私、和裁得意だからやってあげるよ」と。1つ200円でお任せすることにしました。そのおばあちゃんは和裁をやってただけはあって、ちゃっちゃっとすぐにやってくれるので、1月3000円とか5000円とかおこづかいができるわけですよ。それが口コミで広がって「近くのおじいちゃんがやりたいと言ってる」というような声もいただくようになって、地域の高齢者の方々にお願いするようになりました。
――それがいわゆる「地域共感型ビジネス」というわけですね。
馬場 「さくらや」は自分の困りごとから始めたんですけど、いつの間にか、障がい者や高齢者など社会的弱者と言われてる人たちに働ける場を提供できるようになりました。それをメディアが「さくらやさんすごいことしてるね」と取り上げるようになりました。
地域共生社会とかあまり意識はしていなかったんですけど、最近では「それってSDGsやん」とさらに注目されるようになりました。
地域のお母さんを元気にする「さくらや」の活動
――こうやって「さくらや」が地域の雇用を創出する中、さくらやを通してコミュニティができあがっていったとお聞きしています。
馬場 「さくらや」はお母さんたちに必要な情報を提供する場所にもなっています。私は、保険業に復職する前は、市の母子手当をいただいていて、何とか生活が成り立っている状況でした。母子手当のことを知っていたからよかったものの、うちのように母子家庭で市の補助が受けられることを知らないお母さんもいます。だから「さくらや」はそんなお母さんたちの悩み事を聞いたり、市の助成金の案内をしたりするような場にもなりました。
――「さくらや」はまさに地域のお母さんたちの駆け込み寺みたいになっているのですね。
馬場 そうですね。「さくらや」を開店させてから、地域のお母さんから「子どもたちのイベントをしたい」「お母さんのためのワークショップを開きたい」という要望もいただくようになり、店のスペースを開放して地域の支援活動も始めました。
そんなことを5~6年しているうちに、内閣府から「子どもの未来応援国民運動を一緒にやりませんか?」とお声をかけていただきまして、それが今「さくらや」の業務の一つの柱となっています。
1年かけて、内閣府担当の方とその仕組みを考えました。それが「中古制服の回収ボックス」です。
「さくらや」がオープンして2年目に制服が足りないということがありました。「さくらや」の営業時間は短くて、働くお母さんたちが来れる時間帯と一いたしていません。一方で、リユース制服の需要は急速に増えていました。
そこで、企業や学校、コンビニエンスストアなど400箇所に制服の回収ボックスを設置し、いつでも不要になった制服を投入できるようにしました。回収ボックスで回収された制服は、「さくらや」が販売まで責任を持って預かります。その査定金額は子供の未来応援国民運動の基金へ送金され、全国の子ども食堂や子ども支援団体の活動費に分配される仕組みです。
私たち「さくらや」は慈善団体でもNPO法人でもないので、しっかりと利益をあげながら、その一部を地域活動に使うようにしています。
――まさにSDGsのモデルですね。
馬場 そうですね。どちらかに偏ってしまうと長続きしません。利益を挙げて、社会貢献もできる。一挙両得になるような仕組みだから長続きができるのです。
このような活動を行っていると、「貧困家庭があることに気づかされるようになった」という声をいただくようになりました。
最初に回収ボックスを設置した企業の担当者の方が、それまでは自分の周囲に困っている子どもたちがいることを知らなかったけれど、それを知ってからは、自分の近くで子どもたちを見るとついつい「服が破れていないか」「ケガをしていないか」とチェックするようになったとおっしゃっていました。
回収ボックスはただ単に制服を集めることだけが目的ではありません。こうやって、孤立化している「困っている子どもたちの存在」を世間に知らしめて、地域をあげてこのような子どもたちを守れる仕組み作りも目的としています。
自分だけではなく、地域全体の利益を考える
――さくらやのモデルが成功したのはなぜだとお考えですか?
馬場 貧乏暮らしを経験してきて、冷蔵庫であるもので何ができるかと毎日考えていました。「さくらや」のモデルも同じで、今あるものをどのように活用できるかを考えたことがプラスの方向に働いたのではないかと思っています。
――馬場さん一人の利益ではなく、地域全体の利益を考えたことが勝因だったのかもしれませんね。
馬場 利益だけ追及するなら趣味で制服を活用する人に販売した方が利益になるでしょうが、そうすると、地域のお母さんたちからの信用がなくなります。自分が苦労してきたので、何とかして地域のお母さんたちの役に立ちたい、そればかりを考えてきました。それが「地域共感ビジネス」なんですよね。地域のお母さんたちの悩み事を聞いて共感し、解決するにはどうしたらよいか、ビジネスにできないかと考えることです。
――すばらしい考え方ですね。一方で、馬場さんが意図していない目的で購入しようとする人もいたのではないでしょうか?
馬場 お客さんの中には、制服のリユース以外の目的で来店する男性もいらっしゃいました。そのため、様子がおかしいなと思ったときには、そのお客さんに声をかけて、お子さんの通っている学校や年齢とか、あと、その学校の保護者しかわからない質問をしたり、しっかりと確認してきました。
お母さんたちからいただいた制服が不当な使われ方をされないように厳しく目を光らせてきました。そういうこともあって、地域のお母さんたちからの信頼を得られるようになったのだと思います。
今後の夢は経済的弱者が収益化できる経営モデルを構築すること
――現在、東京にいらっしゃるということですが、どのような活動をされていますか?
馬場 実はこのコロナ禍に、屋台を作って、表参道や自由が丘に持っていて、中古制服のボタンのリユース活動のPRや環境問題・貧困問題を伝える活動をしています。屋台があると何か楽しいことをしていると思われて、「一緒にイベントをしよう」と声がかかることも多くありました。お母さんたちから悩み事を相談されることもあります。
この活動が新聞で取り上げられると、男性からの問合せも増えて、驚きました。
――男性からはどんな問合せがきたのでしょうか?
馬場 「今までは仕事一本だったので、定年退職後は地域に貢献をしたい」という50~70代の男性が多くいました。
それと合わせて、企業からワークバランスについての相談も来るようになりました。最近、若い人たちがSDGsに注目していて、採用活動でもその企業がどんな対応をしているか質問されるらしいです。
――他にどのような活動をされているのでしょうか?
馬場 先ほどのお話ししました回収ボックス活動の一環で中古制服をエコバックなどの商品化の計画があります。
人と違う活動をすることでメディアで取り上げられ、企業からも声がかかるようになりました。今後も他の企業と提携しながら、収益化でき地域貢献にもなるビジネスモデルを作っていきたいですね。
――それでは、最後にこれからの夢を教えてください。
馬場 私には昔から「障がい者施設を作る」という目標があります。障がい者施設を作るには、社会的信用が必要だから、その最初のステップに「起業」がありました。
私が考えている障がい者施設は、公的支援のあるものではなく、「さくらや」で培ったノウハウをもとに、障がい者や引きこもりの方々に営利活動するための方法を教える教育機関を作ろうと思って、今準備しています。すでに高松に土地を購入しました。まだまだ走っている途中ですね。
――作業所とは異なるのでしょうか?
馬場 違います。現在さくらやは90店舗ありますが、そちらで現場研修を受けながら、ビジネス展開できる技術を学びます。しっかりと収益化できる方法を学べるカリキュラムを来年までに考える予定です。この事業は、当事者でもある長女を筆頭にして展開する予定です。
――馬場さんのバイタリティにとても圧倒された時間となりました。馬場さんの活躍にこれからも目が離せませんね。本日はお忙しいところありがとうございました。
馬場加奈子 ばばかなこ
実業家 学生服リユース「さくらや」創業者 特定非営利活動法人 学生服リユース協会 主宰
ワンオペ育児の最中、制服購入にも窮し、全国初の学生服リユースショップを起業。メディアに注目され、「さくらやパートナー」として全国90店舗、市場規模3億円に。ウーマン・オブ・ザ・イヤー子育て家庭応援ビジネス賞他、受賞多数。著書、テレビ出演などの他、SDGsや地域共感ビジネス等の講演も好評。
プランタイトル
地域の課題解決が”循環する社会”を創る ~地域共感ビジネスの作り方~
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