戦地の取材を行うジャーナリスト。
その仕事について、時には世間から大きなバッシングを浴びることさえあります。
2015年には、ジャーナリスト仲間である安田純平さんのシリアにおける拘束事件、そこから飛び火した「自己責任論」。
戦場ジャーナリスト、藤原亮司さんのインタビュー後編では、2015年の安田さん拘束事件、そして2022年のウクライナ取材での体験をもとに、日本におけるジャーナリズムの現状と平和に対する想いについてお聞きしました。
安田さん拘束事件から「自己責任論」について考える
――2015年に安田純平さんがシリアの武装勢力に拘束される事件が起きました。世論で「政府が反対したのに(安田さんは)勝手に行って捕まったわけだから、自分で責任をとるべきだ」というような自己責任論が騒がれ、安田さんは被害者にも関わらず、かなりバッシングされました。それについてどうお考えですか?
藤原 まず言っておかないといけないのは、安田さんは「政府に反対」されたことはなく、外務省の危険情報で「退避勧告」が出ていたシリアに行ったことを、「政府が行くなと言っている場所に行った」とバッシングする人たちが勝手に解釈しているわけですが、政府の勧告に強制力はありませんから、法を犯したわけでもない。
前編でもお話しした通り、戦争を取材する際は、十分な安全対策を行ってから取材に臨みます。安田さんもそれはやっていたはずですが、熟練した登山家でも事故を起こすように、100%の安全対策はなく、突発的な危険に遭遇する可能性は常にあります。
だからといって、だれも戦地を取材せず、戦地で起きている事実を伝えるものがいなかったから、力のないたくさんの人々の命や生活が犠牲になるわけです。だから、世界各国のジャーナリストや人道支援団体が、現地に赴くわけです。
批判をする人の中には、戦地の人々が自分の日常をスマホで撮ってSNSにあげていて、それだけのソースで十分だという人がいますが、その動画には撮影した人の主観が入っていますし、戦争当事者の視点だけでは公平さに欠けます。だから、そこには第三者の視点というものが必要なのです。
また、BBCやアルジャジーラ、APやAFPなど海外メディアの情報で十分だ、という声もありましたが、例えばイギリスと日本では、戦争当事国との関係性も違う。だから、報道の視点も違ってくるはずです。そもそも、外国人ジャーナリストが戦争を取材した情報は必要だが、日本人ジャーナリストのそれは不要だ、というのはおかしな論法ですね。
――安田さんは事故にあっただけで、「自己責任論」という言葉もおかしいですよね。自己責任論が真実ならば、事故のリスクのある車も運転できない、という話になります。
藤原 「自己責任論」の本質は、「自己責任をとらせない論」であり、同時に「迷惑論」ですね。「身代金が払われたのだから自分たちの税金が使われている。だから俺にも迷惑がかかっている」となるわけですが、安田さんの件について政府は身代金を払っていません。イギリスに本部を置くNGOが確証のないまま「解放には身代金が支払われたようだ」と報じました。それがそのまま広まってしまった。
しかし、安田さん拘束の調査のためにトルコに行って解放に関与できるという人物やグループに会ったり、同様に自国のジャーナリストが拘束されていたスペインの政府関係者とも接触したりしました。また、トルコの関連機関とも情報のやり取りをしました。その後も解放されるまでずっと調査と情報収集を続けていましたが、身代金が支払われたという情報には一切行き当たらなかった。そもそも、日本政府自身が、身代金の支払いを否定しています。
それなのに、一度流れた「身代金が支払われた」というデマは、その後も拡散され続けている。他者を叩くために「一度頭にインプットされた情報は二度と更新されることはない」という、「特殊能力」を持つ人がいかに多いかを認識させられました。
私と安田さんの共通の友人でもある、ある外国人ジャーナリストは、ISに半年間拘束され、政府が身代金を払って解放されました。彼は軍の飛行機で帰国し、空港では副首相が出迎えました。国民から彼への批判などなく、彼の体験は「イスラム国」の内部を知る「貴重な情報」として政府内で共有されました。そして彼は、その後またシリアなど紛争地に赴き、取材を続けています。
――日本とはあまりに違いますね。
藤原 欧米では、国民一人ひとりがジャーナリズムに対する考え方をしっかりと持っており、残念ながら日本とは状況が違います。だからといって、取材に行かないわけにはいきません。人権も成り立たない場所で、そこにある現実や真実を第三者の目で公平に伝え、世界の人々が監視していく状況を作っていくことに、ジャーナリストの存在価値があると思っています。また、日本と当事国の関係性においても、日本人の視点で報道する必要性もあると思っています。
客観的な情報認識の難しさ
――だからこそ、藤原さんたちのようなジャーナリストの力が必要なのだと思います。しかし、最近は、ウクライナ情勢でも問題となりましたが、さまざまなフェイクニュースがインターネット上で飛び交いました。私たちはデマかどうかをどのように見極めればよいのでしょうか?
藤原 非常に難しいですね。今は、ニュースサイト、FaceBookやTwitter、テレグラムなどのSNSで拡散されたニュースのファクトチェックをしている団体がありますので、そちらの見解を参考にしてもよいと思います。
ネット上には、本物の報道機関のwebサイトそっくりに偽装されたニュースサイトが無数にあります。そこに西側のメディアが報じていないことが書かれていると、「欧米のメディアが隠している事実が書かれている」と信じる人もいるかもしれません。しかし、ロシアなど多くの強権国家が国家ぐるみでフェイクニュースを発信している場合が多く、デマを見極めるのはとても難しいです。
――今回のウクライナ情勢のニュースの中には、かなり西寄りの主観に偏ったものもあるように感じました。客観的な報道というのはやはり難しいものなのでしょうか?
藤原 西寄りの主観に偏っているかどうかは少し疑問があります。ロシアはウクライナやシリアについて、ずっと以前からプロパガンダやフェイクニュースを組織的に流し続けてきた。そのロシア側の報道を並列で報道する必要があるとは思いません。
もちろん、私も、他の取材者も、取材して伝えるものにはその人の主観が含まれるでしょう。しかし、「客観報道」とは「ものごとを客観的に取材すること」ではなく、取材者の主観でとらえた事実をいかに客観化して見る人に伝えられるか、なのではないかと考えています。そこは真実に基づいて伝えることが大前提であり、取材者の大義や正義、思想などが入ってはいけないことは当然のことですが…。取材したことをそのまま流すのではなく、まず裏を取る。裏が取れないときは傍証を重ねる。そこは絶対におろそかにはできないです。
同調圧力のない自由主義の国、ウクライナ
――先日(2022年3~4月)、ウクライナの取材をされたとお聞きしましたが、現地の様子を教えてください。
藤原 ひと月あまり、西部の町リヴィウと首都のキーウ周辺を取材しました。リヴィウは戦闘の被害をあまり受けておらず、激戦地である東部や南部から逃げて人々が集まり、そこから海外へと避難していく拠点のような場所です。
そこには世界各地から支援物資が運ばれてきて、地元のボランティアの方々が前線や避難した人々に配布していて、そこを取材しました。そこには、配布ボランティア以外にも、自分たちの町を守るため、陣地や車両を隠すための迷彩ネットや火炎瓶、道路封鎖用ゲートを作っている人々もいました。
また、もともとウクライナでは兵役がなく、今回の侵攻で突然兵隊にならなければならなくなった若い子もたくさんいました。その子たちは、元はサバイバルゲームだった場所で、元軍隊の教官から軍事訓練を受けていました。
一方で、避難していく人、何もしない人もいました。
――現地に行ってみて、イメージと違ったことはありましたか?
藤原 日本である一部の識者がウクライナには「お国のために」というような日本の第二次世界大戦下のような同調圧力があると言っていましたが、現地に行ってわかったのは、「皆自分ができることを自ら望んでやっているだけ」ということでした。避難していく人や何もしない人に対して、何かをしている人が非難することもありません。本当に、個人の意見が尊重され、自由主義が徹底している国だと感じました。
――ニュースで18~60才までの男性は徴兵制が敷かれ、海外に出られないというニュースを耳にしました。
藤原 そうですね。18~60才の男性は海外には出られないけれども、戦闘の少ない町に逃げることはできます。
現地に50代の男性がいましたが、その男性の話した言葉が実に印象的でした。その男性は戦うこともせずに、ボランティアにも参加していませんでしたが、「自分はここにいることで(ロシアに)抵抗している」と言っていました。戦闘は少ないといえ、キーウにも空爆が起きていて、100%安全という状況ではありません。その男性にとって、自分が生まれ育った町に留まることが、ロシアへの対抗でした。そういう抵抗の仕方もあるのかと思い、感心しましたね。
他国で起きてる戦争・紛争に関心を持つこと
――遠い場所で起きている戦争に対して、日本人の私たちができることとは何でしょうか?
藤原 よく聞かれる質問ですが、戦争とは突然始まるものではありません。気づかないところで戦争へと向かう空気が醸成されている。それに気づいたときはもう、引き返せない状況になっていて、戦争が起きるのだと思います。私たちの周りでも、そのような流れにならないように、注視していく必要があります。そのためにも、世界で起きている戦争や抑圧などに目を向けて、どのような経緯で戦争に進んでいったのか、その教訓を身に付けることが肝心だと思います。
今回のウクライナ侵攻では、ロシアがクリミアやドンバス、シリアに介入した時などに、西側諸国が強い行動に出なかったことにも原因があると思います。
シリアでアサド政権側の化学兵器や空爆によりたくさんの人々が亡くなった時、当時アメリカのオバマ政権は軍事介入を検討しました。それに反対したのはアメリカ議会であり国民でした。
もし、シリア内戦やクリミア併合の時に、ロシアやシリア政府に対して私たちがもっと関心を持ち、殺戮や占領に反対の声を上げていれば、西洋諸国はもっと強い態度を示し、別の展開もあったかもしれません。結局、市民の無関心さも、今回の戦争を起こさせた遠因の1つではないかと考えています。
――日本は敗戦国だから、一番戦争について関心を持たなければならないと思います。
藤原 私は1967年生まれで、私が生まれるほんの22年前までは日本も戦争当事国でした。今(2022年)からたった77年前のことです。
日本は、世界でも有数の平和教育を受けている国だと思います。小学生の時から社会科や道徳の授業で習い、中学校や高校で、長崎や広島の原爆記念館に行ったり、沖縄に行ったりする。毎年夏になると、テレビで戦争に関するドキュメンタリー、ドラマや映画も放映されています。
なのに、日本人は海外で起きている戦争に対して、関心が薄いですよね。
私も含めて、これまで日本人が考え、教えてきた平和とは「日本や日本人にとっての平和」で、世界の「普遍的な平和」ではなかったのではないか、と思うことがあります。確かに、終戦直後は、唯一の被爆国である日本は、「被害者」としての観点で平和を訴える必要があったでしょう。
しかし、いまも本当にそれだけでいいのか。すべての人にとっての普遍的な平和を考える必要があると思うのです。私がやっている仕事が、それを考えるための一助になってくれることがあれば、と思いながら取材を続けて行こうと思っています。
――そうですね。日本人は敗戦国、被爆国として被害者の側面に焦点が当てられがちですが、実際は加害者でもありました。加害者にならないためにも、常に世界各国で起きている戦争や紛争に関心を向ける必要があります。本日はありがとうございました。
在日コリアン、パレスチナ紛争…
戦争取材へのルーツ
パレスチナ、イラク、シリア、アフガニスタン…これまで世界各地の紛争地で、戦地で虐げられた人々の日常を取材し、真実を世界に伝え続けているジャーナリストの藤原亮司さん。…
藤原亮司 ふじわらりょうじ
ジャーナリスト
1998年よりパレスチナ問題を継続取材、他に紛争や民族問題(シリア、イラク、ウクライナ他)、在日コリアン、東日本大震災や原発被害を取材。新聞や雑誌、テレビ(映像)、ラジオ(解説)等で発表。現場取材を重視し、講演では戦争や抑圧、国際情勢、国際報道の読み解き方などを分かりやすく解説。
プランタイトル
戦争取材と自己責任
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