高齢化社会が進み、その増加に警鐘が鳴らされている“老老介護”。そんな老老介護のリアルな姿を撮影したドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』が2018年に公開され、20万人を超える観客を動員する大きな反響と感動を呼びました。
認知症になった母を介護する95歳の父。そんな2人の姿を監督として、そして娘として追った信友直子(のぶとも なおこ)さんに、認知症や看取りとの向き合い方について伺いました。
予想外の認知症。腹をくくった娘と動じない父
――ご両親のことを撮影されるようになったきっかけは何でしたか?
信友 母が認知症になったから撮り始めたのではなく、最初は私の撮影の練習として帰省の度に両親を撮り始めたのがきっかけでした。私はテレビのドキュメンタリー番組のディレクターをやっているのですが、2000年頃から自身で撮影もしながら取材をすることが増えてきたのです。そこで撮影の練習と家族のひとつの楽しみとして、両親を撮影するようになりました。
――お母様の認知症に気付くまでに、ご両親の介護については考えていましたか?
信友 まったく考えていませんでした。すごく元気な両親だったので、このままずっと元気だろうと思っていました。もしかしたら、考えるのが怖くて目を背けていたのかもしれません。よく親子3人で「先々のことは考えてもどうなるか分からんけんね」と話していました。いくらシミュレーションしたところで、その通りには絶対ならないですからね。私達家族は「それなら今を楽しもう」と考えるような性格なんです。
――とても前向きなご家族ですね。でも介護が予想外だったのなら、認知症かもしれないと気付いたときに不安を感じませんでしたか?
信友 仕事で認知症の方の取材をした経験から認知症の症状を理解していましたので、母の様子を見て覚悟はしていました。それでも診断されるまでは、「認知症であってほしくない」と現実から目をそらそうとしていたと思います。診断が確定したことで、「進行速度を緩めるかもしれない薬もあるから、それに望みをかけてみよう」「もう腹をくくるしかない」と考えるようになりました。でも父はまったく動じていないようでしたね。戦前の生まれで大変な思いもたくさんしてきていますから、これぐらいじゃ動じないのかもしれません。父があまりに落ち着いているので、番組の編集スタッフに「お父さんが動揺する場面はないの?」と言われたくらいです(笑)。
「死にたい」と泣く母。向き合う中で家族が見つけた解決法
――映画では認知症により徐々にお母様が変わっていく様子が見られましたが、変わっていくお母様に対しどのようなお気持ちを抱いていらっしゃいましたか?
信友 最初は母が自分の異変にここまで心を痛めているとは思いませんでした。仕事で認知症の方のドキュメンタリーを撮った際には、その方からは病気のことで悩むような発言は聞かれなかったからです。しかし母は「私はなんでこんなにおかしくなったんかね」と、ちゃんと言語化してくれました。おそらく家族だから出た素直な発言だったのでしょう。母も家族以外にはそのような発言はしませんでしたから。認知症の方は、他人に気を遣ったり格好つけたいという気持ちがあったりもすることで、辛い心情を他人には見せづらいのだと思います。それがディレクターとして撮影していたのではすくい取れなかった、認知症の方の心の叫びなのだと感じました。
――お母様が「死にたい」とおっしゃるシーンも印象的でしたが、そんな言葉を聞くのも娘としては辛いことですよね。
信友 母はそれまで私や父の面倒を見てきた人生であり、それがアイデンティティやプライドになっていました。認知症になって家族の面倒を見るどころか面倒をかけているということがやりきれなくなり、「迷惑になるからここにはいられない」と思ったのだと思います。最初に「死にたい」と言われたときは、「私にできることはなんだろう」とすごく悩みました。でも次第に、母のそういった悩みにも波があることに気付いたんです。
母は悩みすぎるとオーバーヒートして疲れて寝てしまい、起きたらもう忘れているのです。母が起きてからも私が「お母さんかわいそうに」としょぼくれていると、母に「あんた、どうしたのよ?」と心配されてしまいました(笑)。それで「これはいちいち振り回されていてもしょうがないな」と思うようになり、母が泣き出したら「一回布団に入って寝よう」と促すようになりました。
――徐々にうまく付き合う方法を見つけていったのですね。
信友 私達が笑顔でいることで、母も安心するんです。だから笑顔でいようと、父とも相談して決めました。私達まで一緒に悲しんでしまうと、母も「自分のせいで娘まで悲しくなっている」と思って責任を感じてしまいます。でも私と父が笑顔でいれば、「私はおかしくなってきているけど、娘も旦那も楽しそうだから私がここにいても邪魔じゃない」と母も安心します。それが母の居場所作りになることに気付いたんです。
家族と認知症患者は合わせ鏡のようだと思っています。私達の機嫌がいいと、母も機嫌がいいんです。よく認知症の方が暴言を吐いたり暴力を振るったりという話も聞きますが、介護する側が何もしていないのに認知症の方が爆発してしまうことはないと思います。ちょっとこちらがイラッとしたり困った顔をしたりすることから、「自分のせいで」という思いが自家中毒のように貯まって爆発してしまうと思うのです。こちらが穏やかでいれば相手も穏やかでいてくれるので、本当に鏡のようだと思っていました。
――主として介護をされていたお父様に対してはどのような思いを抱いていましたか?
信友 以前から信友家は母がリードして父がついていくような関係だったので、父はこんなに頼りになるのかと驚きました。父は母が何に苦しんでいるのかを想像し、少しでも苦しみから開放されるようにと色々と声をかけていました。90代半ばにしてはじめて家事をするようになって、あれだけ出来るようになったのもすごいと思います。きっと母が父にやらせなかっただけで、母が家事をするところをちゃんと見ていたのでしょう。
しかも、自分がすべての家事をやってしまうと母が気にするだろうと、父は芝居を打っていました。例えば洗濯をするときに鼻歌を歌いながら洗濯をするんです。そうすると母が「お父さんは洗濯が好きなのかもしれんね。好きなことしよるんならまあいいか」となっていきました。そんなことも狙っていたのだと思います。
家族だけで頑張らない。他人に頼ることは認知症患者にも救いになる
――ご両親の記録を番組にすることは信友さんの発案だったのですか?
信友 テレビ局側からの提案です。最初は母が嫌がるかもしれないと思ったのですが、「直子の仕事なら何でも協力するよ」と言ってくれたことから、「じゃあ、やろう」となりました。私が以前乳がんになった際に自身のドキュメンタリー番組を撮ったことがあり、母もそれに出演していたことで慣れもあったのかもしれません。東京から広島の呉に頻繁に帰省することはスケジュール的にも金銭的にも難しく悩んでいたので、それを仕事にできてとても助かりました。
実は母が認知症と分かった初めの頃は、母のプライドもあるだろうと撮影をやめていたことがあったんです。そうしたら「お母さんがおかしくなったから撮らんようになったんか?」と母が聞いてきたのです。撮らないことでそう思ってしまうんだなと思い、母が良いのならと撮り続けました。そうして撮り続けていくうちに撮れたのが「私はなんでこんなおかしくなったんかね」と母が呟いたシーンです。このシーンが撮れたときから、「“認知症は実は本人が一番辛い。だから誤解しないでほしい”というメッセージをいつか表に出したい」と考えていたことも、プロデューサーからの提案を受けた大きな理由の1つです。
――ご両親が広島、信友さんが東京にお住まいという状況で、介護に対し工夫されていたことはありますか?
信友 一番は介護サービスの方々の手を借りたことです。介護が始まってから、耳の遠い父と認知症の母の二人きりではうまくコミュニケーションが取れず誤解が生じてしまい、互いにイライラして会話が減ってしまったんです。会話が減ってぼーっとすることの多くなった母の顔が次第に能面のように無表情になっていくのを見て、私の独断で地域包括センターに相談に行きました。介護サービスを受けるようになってから介護が大きく変わりました。デイサービスに通い始めて母の顔が明るくなりましたし、父も自分の時間を持てるようになったことでゆとりを取り戻したようでした。
日本では家族が介護することが美談のように語られがちです。でも、もし実際に私が1対1でずっと介護に向き合っていたら、母にずっと明るく接することはできなかったと思います。そして家族の顔色を窺う母は、そんな私の様子に心を痛めてしまったでしょう。家族に嫌な顔や辛い顔をされながら介護されると、家族以上に認知症の本人が辛くなってしまいます。介護サービスを利用することで家族も息抜きができて、愛情を持って「おかえり」と迎えられる介護のほうがいいですよね。今はもう認知症という病気が広く理解されている時代なので、ご近所にもオープンにして何かあったら助けてもらえるようにしたほうがいいと思います。
死は悲しみだけでなく学びあるもの。自身と大切な人のため最期を考える
――講演会ではどのようなことをお話ししていらっしゃいますか?
信友 「認知症のご本人のために笑顔でいてあげてください」ということを一番に伝えています。続編映画として母の看取りも撮ったので、最近は介護だけでなく延命治療や人生会議についてのお話もしています。人生会議とは、厚労省が勧めている家族や主治医に対し自分がどのような最期を迎えたいかを伝える取り組みです。私は母と人生会議を行わなかったので、母の意思が分からないまま胃ろうによる延命治療を行いました。胃ろうをしても寝たきりのままでしたから、それが母にとって本当に幸せだったのかと考えて、今でも眠れない日もあります。看取った家族は必ず悩む問題なので、元気なうちに自分の意思を伝えることの大切さもお話しています。講演会に来てくださるのは年配の方が多いですが、介護や看取りは誰にとっても他人事ではない問題なので、年齢を問わず聞いていただきたいですね。
――最後にメッセージをお願いします。
信友 私は認知症の母が少しでも気持ちよく過ごせるよう、父がたくさんの工夫をしてきた様子を見てきました。どう接すれば認知症の人にとって良い暮らし方になるのか、私が娘の視点で見てきた体験談や学びを、映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の予告編映像を交えながら講演会でお伝えしています。母が元気なうちに最期をどう過ごしたいかを話し合えなかった後悔から人生会議や看取りに関するお話もしていますが、母が亡くなったことから私はたくさんの学びももらいました。人が亡くなるということは悲しいだけではなく豊かなものであり、宝物のような気付きもあります。その辺りのお話もみなさんにしていければと思っています。拙い私の体験談ではありますが、ご自身の大切な人に自分の生き様をどう残すかということも考えられると思いますし、これからの人生においてのヒントになってもらえたらと思います。
――貴重なお話をありがとうございました!
信友直子 のぶともなおこ
映画監督、TVディレクター
東大卒。認知症の母と老老介護する父を娘の視点で描いた映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」が大ヒット。令和元年の文化庁映画賞・文化記録映画大賞など数々の賞を受賞。自らの介護体験から学んだ「認知症との上手なつきあい方」を各地で講演。「話を聞いて気が楽になった」と好評を博している。
プランタイトル
『ぼけますから、よろしくお願いします。』
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