2024年4月1日より障害者差別解消法が制定され、ますます進むことが予想されるバリアフリー。しかし、バリアフリーではいざというときに障害者や病人の命を救えないと考え、“バリアパス”という新たな考えを提唱されている方がいらっしゃいます。

今回はそんなバリアパスの提唱者であり、国際特許も取得した世界初の車椅子補助装置『JINRIKI』の開発者である中村正善(なかむら まさよし)さんに、前後編にわたるロングインタビューにお応えいただきました。

前編ではバリアパスとはどのようなものなのかを『JINRIKI』の開発秘話とともにお伺いします。車椅子の意外な事実と中村さんの挑戦のお話をご覧ください。

砂利道すら進めない車椅子。バリアはなくすのではなく越えるべきもの

▲テコの原理により、障害物のある道でもまるで人力車のように楽に車椅子を運べる『JINRIKI』。※画像は『JINRIKI QUICK3』〈名鉄百貨店公式サイトJINRIKI販売ページより〉

――中村さんが提唱されている「バリアパス」とは、どのようなお考えなのでしょうか?

中村 バリアパスについてご説明する前に、まずは車椅子がどういうものかをご理解いただく必要があります。みなさんは車椅子があればどこにでも行けると思っていませんか? 実は車椅子はちょっとした砂利道すらなかなか進めないほど、室内以外の場所には不向きなものなのです。

“座席の下に小さな前輪と大きな後輪が付いている”という車椅子の形状は、段差のないフラットな場所での利便性を考えて作られています。前輪が大きければ段差も越えやすいのですが、前輪が大きいとうまく旋回できませんし、車輪が足に当たってしまいます。そのため約150年間、車椅子は世界中でずっとこの形状から変わっていないのです。

後ろから押して進む場合でも移動は困難です。後ろから押したとしても、前輪が小さいため段差を越えにくいのは変わりません。また、車椅子を押す位置は押す人の腰のあたりになるため、坂道では地面に対して平行に力を伝えることができずうまく登れません。車椅子はこのように、平地以外での移動が非常に困難という弱点を抱えているのです

――想像以上に行ける場所が限られてしまいますね。

中村 そのような状況に対し、現在世界では主に次の2つの方法で対応されています。1つめは周りの方による助け合いです。日本ではあまり取り組まれていませんが、ヨーロッパなどではバスに車椅子の方が乗る場合、他の乗客が乗り降りを手伝っています。2つめは車椅子が進みやすいよう地面を平らにしてしまうバリアフリーです。しかしバリアフリー化には莫大な予算もかかり環境破壊にも繋がるため、すべてをバリアフリー化することはできません。何より、瓦礫だらけの災害時にはバリアフリーはありえませ

では、どうするのか。バリアを“なくす”のではなく“越える”ようにすれば、すべての問題は解決すると思っています。それがバリアパスであり、このバリアパスを実現する道具が、私が開発した車椅子補助装置の『JINRIKI』です。『JINRIKI』を車椅子の前方部分に取り付けることで、まるで人力車のように車椅子を運ぶことができるのです。障害物を越える上でネックになっていた小さな前輪をテコの原理で持ち上げて浮かせてしまうことで、障害物を楽に越えられるようになっています。

亡き弟との日々がヒントに。東日本大震災を機に『JINRIKI』開発の道へ

▲『JINRIKI』開発のきっかけとなった亡き弟さんと中村さん

――バリアパスと『JINRIKI』の発想はどこから生まれたのですか?

中村 最初のきっかけはコンサルタントの仕事をしていたときに、長野県の上高地のコンサルティングを任されたことでした。上高地の観光客を増やす方法として、車椅子の方も来られるようにすることで来訪者数の絶対値を上げようと考えたのが着想の始まりです。上高地は国立公園になっている非常に美しい観光地ですが、マイカー規制があり、バスかタクシーでないと山に入れません。しかも舗装された場所はバスターミナル周辺の300m程度で、とても車椅子の方が来られる場所ではありませんでした。車椅子を眺めながら何が問題で通れないのだろうと考えていたときに、「大きな後輪だけにすれば、人力車のように動かせるのではないか」と思いついたのです。

――素晴らしい発想ですね!

中村 中学生の時に亡くなってしまいましたが、私には小児麻痺の弟がいたのです。車椅子に乗っている弟と一緒にいるときには友人たちと同じようには自転車に乗れないので、弟の乗った車椅子を押して友達の自転車を追いかけていました。その際に車椅子は前輪を持ち上げると引っかからないということを体感として覚えていたんです。『JINRIKI』の発想はそんな体験から生まれました。

でもそのときはコンサルタントですから、そんな道具を作るという発想はありませんでした。そこで「そんな道具がきっと売っているはずだ」とインターネットで探してみたのですが、そんな道具はどこにも見当たらないのです。コンサルタントとして特許関係も扱っていたことから特許まで調べてみましたが、それも見つかりません。特許すらないのであれば無理だと考え、そのときは諦めました。そのときはあくまでコンサルタントでしたから、道具の製作まで行うような選択はなかったのです。

――そこからなぜ脱サラしてまで『JINRIKI』を制作しようと思われたのですか?

中村 きっかけは東日本大震災でした。何ができるだろうかと真剣に考えたときに、「あの道具があれば、1人でも2人でも助けられるかもしれない」と思い至ったのです。報道によると、東日本大震災で障害を持つ方が犠牲になられた比率は、健常者の倍以上だったそうです。

ちょっと想像していただきたいのですが、急な坂道や砂利道でさえも行けない車椅子の方は、瓦礫の中なんて絶対に進めないですよね。そのほかにも高齢者の方や妊婦さんなど、避難が難しい方もたくさんいらっしゃる中で、自分だけ逃げようとする方はおそらくそういません。避難困難者を助けようとして、結果的に犠牲になられた方も大勢いらっしゃるのです。「この現実を打破するため役に立ちたい」「世の中の役に立つ人間になりたい」と思い、震災の1ヶ月後に脱サラをしたのが『JINRIKI』制作のスタートでした

今思えば、ものづくりをしたことがない人間だからこそそういった発想になったのだと思います。『JINRIKI』は言ってしまえば単なる棒ですから、なぜこれまでそれが商品化されていないのかなんて考えもせず、簡単に作れると思っていたんです。まさかそれが世界初の国際特許を取り、発明大賞()をいただけることになるなんて、夢にも思っていませんでした。実はそれだけ商品開発は難しく、問題が山積みでした。

※JINRIKIは2014年第39回 日刊工業新聞主催の発明大賞「日刊工業新聞賞」に選ばれた。

莫大な費用と失敗の連続。ある一言が折れかけた心を奮い立たせた

――それまで誰も商品化しなかった道具であれば、制作には相当なご苦労があったのではないでしょうか?

中村 大変なことだらけでしたね。金型を作るだけでも大きくて、重くて、お金がかかりましたから。何より大変だったのは、どんな車椅子にも取り付けられることができる仕組みを作ることです。車椅子は時速4kmで平らな道を走行できる程度の強度があればJIS規格をクリアできるので、本当に種類が豊富なのです。車椅子メーカーは世界に数百社あると言われており、さらに会社ごとに様々な車椅子を開発しています。途方もない種類の車椅子があることに気付いたときは愕然としましたね。車椅子は部品の規格が統一されているわけではないので、すべての車椅子に取り付けられるようにすることは非常に難しい問題でした。例えるなら、大型トラックから軽自動車まで、すべての車に取りつけられるタイヤを開発するようなものですからね。

――それは相当難しいですね。どのように解決されたのですか?

中村 最終的には直接取り付けるのではなく、アダプターのようなものを作ることで解決しました。ただ、その方法ですぐ解決したわけではありません。『JINRIKI』は誰でも簡単に着脱できる形式にしなければならなかったのですが、これが非常に難しく、正直に言うと「無理だ」と思って諦めました。だって世界中の誰も成功していないものを、私のようなものづくりの素人が一人で商品化できるなんてありえないと思うじゃないですか。

――それでも開発を成功させられたのはなぜですか?

中村 諦められなくなる事が起こったのです。きっかけは、ある三重県の防災訓練への参加を依頼されたことでした。三重県はかつて伊勢湾台風などの災害があったことから、防災訓練では高台への避難を重視している地域です。ご依頼いただいた地域では、車椅子での高台への避難は無理という理由から、長年防災訓練に障害者を参加させていませんでした。

しかし東日本大震災を受けて、私が参加する前年に障害者も含めた防災訓練をしたところ、車椅子で坂道を登れず断念したという失敗を経験していました。その失敗を受け、私のことを知ってくださった方が訓練に『JINRIKI』の試作品を使うことを提案されたのです。その結果、試作品を使用して車椅子の方が全員山頂まで登れました。そこである男性に言われた一言が、私の人生を変えてしまったんです

――何と言われたのですか?

中村 私の手を強く握って、「あなたは私たち家族の命の恩人です」と言ってくださったのです。私が「何を言っているんですか、こんな避難訓練で」と言ったら、その方は「いや、茶化さんで聞いてくれ」と真剣に言葉を続けてくださいました。「家族には“津波が来たら俺のことは置いていけ”と言っていますが、家族は“そんなことできるわけないでしょ”と言います。だから私たちは、津波が来たら人生は終わりだと思っていました。でもこれで、みんなと同じように生きていけます」と言うのです。これを聞いて、私の中のギアが切り替わりました。

当時私はまだ特許を取れてはいなかったものの、優先権を手にしていました。優先権とは、後から他の方が同じもので特許を申請しても取得できないようにする権利のことです。それまで150年間誰も実現できなかったことですから、私が優先権を押さえていることで、今後誰も実現できなくなるのではないかと思ったのです。そこで家も車も、コレクションの時計も売り、「命がけでやるしかないな」と本気になりました

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特別インタビュー後編では、元コンサルタントである中村さんが語る巧みな経営戦略と、『JINRIKI』と“バリアパス”が生む新たな未来についてお伺いします。…

中村正善 なかむらまさよし

株式会社JINRIKI 代表取締役社長 世界初、けん引式車いす補助装置「JINRIKI」の発明者 一般社団法人要配慮者避難研究所 理事長

経営者・元経営者実践者

東日本大震災を機に、予てより発想していた「JINRIKI」商品化に向けて脱サラ。商品開発・営業・福祉全て未経験から挑戦し【世界初、けん引式車いす補助装置「JINRIKI」】を開発。「バリアフリーからバリアパスへ」の提唱者として、バリアフリー対策や避難困難者支援のスペシャリストとして広報、講演等に奔走中。

プランタイトル

要配慮者避難と「バリアフリーからバリアパスへ」
~バリアフリー無くせないなら超えてしまえ!~

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