元ヤングケアラーである、お笑いコンビ 平成ノブシコブシの徳井健太(とくい けんた)さん。
前編ではヤングケアラー時代の生活や感情について語っていただきましたが、後編は人生を変えたある出会いのお話になります。ヤングケアラー生活によって感情がなくなったと語った徳井さんですが、この出会いにより人生を見直したことが、ヤングケアラー講演会を開催するきっかけにもなったそうです。
徳井さんの人生を変えた出会いのストーリーと、ヤングケアラー講演会に懸ける想いをご覧ください。
人生を変えた恩人・小藪千豊さんとの出会い
――ヤングケアラーは成人後もその影響を受けやすいと言われていますが、ヤングケアラーであった影響を感じることはありますか?
徳井 やっぱり感情はないかもしれないですね。「楽しい」とか「苦しい」と感じたことがほとんどないです。だからどうしても行動が作業になってしまうところがあります。例えば「今日は買い物してから公園に寄って、その帰りにあのお店でご飯を食べて帰る」って計画をしたら、どんなに疲れていても絶対にそれを達成しようとしちゃうんです。今2歳の子どもがいるんですけど、「子どもが疲れているから公園に寄るのはやめよう」というような、人のことを考えたらやめるべき引き算みたいな考えができないんです。
――それはコミュニケーションの部分で困ることはないですか?
徳井 そうですね。だから他人の気持ちは分からないですし、コミュニケーションなんかずっとうまくいっていません。怒られたり喧嘩になったりすることが多いので、人とコミュニケーションを取ることはほとんどないです。でも別に大丈夫なんで…って感じですね。
――「他人の気持ちが分からない」「コミュニケーションがうまくいかない」という状況でお笑い芸人というお仕事をされるのは、難しさや苦しさを感じませんか?
徳井 普通の芸人さんは「売れたい」って気持ちがあると思うんですけど、僕は「家から出たい」が第1の目標で、その次くらいにおもしろくなれたらいいなっていう感覚だったので、極論を言えば別に売れなくてもよかったんですよ。ただおもしろいと思われたかっただけなので、苦しくはなかったです。色々な現場で「変わっていておもしろいね」って言われるだけで十分うれしくて。芸人でいることを楽しいと思ったことはないですけど、おもしろいと思われるだけで、なんか「生きているな」って感じていました。でも最近は変わりました。今は人が嫌悪感を抱くことをしないことや、なるべく大勢の人が「おもしろい」「幸せだな」と思うことを大事にするようにしています。
――そのように意識が変わられたのは、何かきっかけがあってのことですか?
徳井 35歳頃に小藪(千豊)さんに毎日のように食事に誘っていただいたことがきっかけです。今まで僕がおもしろいと思われていたのは、“非常識”とか“非倫理的”とか“マナーがない”っていう部分だったんですよ。そういうぶっ飛んでいる部分は芸人にとっては宝物みたいなものなので、僕もそれでいいと思いながら芸人をやってきました。でも、小藪さんがはじめて「それじゃアカンで」って言ってくれたんです。それも1回や2回じゃ僕は言うことを聞かないので、1年くらいずっとです。毎日のようにおいしくて高級な飲食店に連れて行ってくれて、食事をしながらこの社会の仕組みや人間の品格について根気強く教えてくれました。
それから仕事への向き合い方が変わってきました。それまでは人の気持ちを考えたことなんて、正直ありませんでしたから。小藪さんに教えていただいたことで、「最大限ハッピーでおもしろく、価値のあるものを提供したい」「“これならお金をいただいてもいい”と思えるような仕事がしたい」と思うようになりました。小籔さんは本当にすべてにおいて恩人だと思っています。
気付かれにくいヤングケアラー。講演会を発見の呼び水に
――小藪さんとの出会いで考えが変わったことが、講演会の開催にも繋がっているのでしょうか?
徳井 そうですね。講演会で僕の当時の思いや体験をリアルに話すことで、みなさんにヤングケアラーについて何かを感じていただけたらと思っています。ただ、もし僕がヤングケアラーの子の立場だったら絶対に僕の講演を聞かないと思うので、当事者の子にはほとんど聞いてもらえないかもしれません。講演会のような行事に参加して人の話を聞ける子は「助けて」と言えるので、たぶんヤングケアラーにはならないんじゃないかな。
僕はやっぱり、愛はすごく大きいと思っています。愛情深く育てられた子なら、僕が経験したような状況に陥った時に助けを求められると思うんです。もし僕が今あの頃の徳井少年を見たら助けないのはありえないくらい、いっぱいいっぱいな状況だったと振り返ってみて思います。そんな状況でもヘルプを言わないんだから、周りからは分からないですよね。
――ヤングケアラー自身が講演を聞くことが難しいのであれば、どのような人に聞いてもらいたいとお考えですか?
徳井 一番は教育関係の方々です。教育関係の方々とお話ししてみると、多くの方が「あの子はヤングケアラーかもしれない」と感じた経験を持っているようでした。それに客観的に当時を振り返ってみると、学校の先生なら僕を救えたかもしれないと思うんです。
先生方が僕の講演を聞くことで、ヤングケアラーの子が1人でも多く救われてほしいと思っています。子どもが一番子どものことを分かっていると思うので、ヤングケアラーの子と同年代の子どもたちにも聞いてもらいたいです。ヤングケアラーの子には聞いてもらえないかもしれませんが、周りの子たちが僕の講演を聞くことで「あの子はヤングケアラーかもしれない」と気付くようになるかもしれません。僕の講演がそんな呼び水のようなきっかけになればと思っています。
――講演会を通してどのようなことを伝えていきたいとお考えですか?
徳井 当時のエピソードを聞いて、とりあえず笑っていただきたいですね。人から見ると悲惨に感じる話題も結構ありますが、そんな話も笑えるように話しています。みなさんが笑いながらも心の中で「ああ、こういう子がいるんだ。どうするべきなのかな」と、少しでも考えてもらえるような講演にしたいと思っています。
SOSを出せない“自覚なきヤングケアラー”に必要なサポートとは
――「当時の自分を見たら助けないのはありえない」とおっしゃっていましたが、当時どのようなサポートがあればよかったと思いますか?
徳井 やっぱり食事かな。僕は人の作る温かいご飯をあまり食べたことがなかったので、食事が楽しくなかったんです。近所のおばあちゃんが豚汁を持ってきてくれたりしたら嬉しかったと思いますね。でも、たぶん当時の僕だったら5回は「いらない」って言います。6回目くらいに「じゃあ食べてやるよ」って食べだして、その後4回くらい食べた後に「こういう豚汁が毎日出てくる家だったらよかったのにな」なんて心のぼやきをようやく言い出すんです。
そうしたら支援の糸口が掴めるかもしれない。10回は運んでもらわないと何もしゃべらないと思うけど、そんなのがあったらよかったな。もし当時子ども食堂があったとしても、僕は行っていないと思います。子ども食堂に行く子は、親からちゃんと愛情を持って育てられているんじゃないかと思うんですよね。
――根気強い関わりが大切なんですね。徳井さんのように自覚のないヤングケアラーにはどのようなサポートが効果的だとお考えですか?
徳井 彼らの趣味を大切にすることです。当時の僕はお笑いと音楽が趣味でしたが、その趣味がなかったらどうなっていたか分かりません。ヤングケアラーをしている時間が人生の80%だとしても、その80%は無感情でやっていることなので別にどうでもいいんです。でも残り20%の趣味のことに関しては、本当に大切な生きがいでした。だからヤングケアラーの子たちが趣味を奪われた時が、僕は一番怖いと思っています。きっと絶望すると思うんです。趣味は本当に偉大なので、それを奪わないであげてほしい。
趣味の話しかしないような大人がいてあげたら、その子にとって得になるんだろうなと思います。当時の僕だったら、学校の先生みたいにしっかりした大人に「大丈夫か?」って聞かれても、「大丈夫」としか言わないです。でも趣味の話ができる人となら、趣味の話を通じてヤングケアラーの子も色々と話すようになるので、SOSに気付けるかもしれません。「この子にとっての生きがいは何か」を見つけることが、支援の近道になるのではないかと思っています。
――ヤングケアラー自身がした方がいいことはありますか?
徳井 やっぱり自分との対話ですね。自分の限界が自分で分かるということは大人になってからもすごく大切なことだと思うので、体調やメンタルについて自分と対話ができるようにしておいたほうがいいと思います。限界なら休みを取ればいいし、無理をさせている人と距離を取ればいいのに、本人が限界を分かっていないから倒れるところまで行っちゃうわけですよね。本当に家族と一緒にいたくないと思ったら、友達の家にでも2日くらい泊まりに行って逃げればいい。2日後に帰ってきて家が無茶苦茶になっていても、限界のまま家にいるよりはいいと僕は思います。
――最後に、徳井さんの夢をお聞かせください。
徳井 ヤングケアラー問題はなかなか根本解決が難しい問題ですが、講演会で僕の話を聞いて笑っていただきたいと思っています。人から見ればむごい体験談もたくさんありますが、僕自身には辛いという気持ちはなく、単純に笑ってほしいという気持ちで講演会をやっています。僕は35歳頃に小藪さんと出会って、人生が180度変わるぐらい仕事や家族への向き合い方が変わりました。だから人との出会いで辛い過去や人生経験も塗り替えられると僕は思っています。僕が小藪さんに出会ったように、僕も誰かの小藪さんのような存在になれたらいいなと思っています。ぜひ皆さんにも出会いを求めてほしいです。世の中捨てたもんじゃないんで。
――貴重なお話をありがとうございました!
「感情はなくなりました」
徳井健太が体験したヤングケアラーのリアル
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徳井健太(平成ノブシコブシ
漫才コンビ(平成ノブシコブシ)
小6の時、父の単身赴任が要因となり母が精神疾患に。引きこもる母に替わり、妹の世話と家事・学業を両立。当時は“ヤングケアラー当事者”である認識もなかったが、芸人活動を始めた頃より自覚。講演では自身の体験全てをさらけ出し「誰もが明るく生きる」ヒントを提示している。著書『敗北からの芸人論』。
講師ジャンル
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社会啓発 | 福祉・介護 |
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プランタイトル
「僕、ヤングケアラーでした。」
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