「人生の主人公は自分だ」。
こう語るのは2008年にNHK紅白歌合戦への出場を果たした歌手の木山裕策さん。この言葉の裏には、かつて「がん」という大きな試練を乗り越え、歌手の夢を諦めずに挑戦し続けた姿がありました。

今回は、39歳で歌手の夢を叶えた木山さんに、これまでの歩み、そして転機や試練をどう乗り越え、どのように夢を実現してきたのかを伺いました。人生を前向きに捉え、行動し続けることで未来を切り拓ける、そんなヒントが詰まっています。

病と向き合い再び動き出した夢への思い

ーー木山さんが音楽を好きになったきっかけは何でしたか。

木山 自宅で美容室を経営していた母親が音楽好きで、店舗でレコードをかけていました。自宅兼店舗だったので帰宅時にはいつも音楽が流れていて、物心つく頃から音楽に囲まれて育ちました

小学生になると自分でレコードを買うようになり、初めて購入したのは松山千春さんのレコードでした。そして3歳から約10年間ピアノを習い、部屋で一人で、1日1〜2時間歌っているような子どもでした。

昔はラジオを録音したカセットテープを繰り返し再生して歌っていましたね。一人で歌うことは大人になっても続けていて、これまで専門的に音楽を習ったことがなく、ボイストレーニングも受けたことがないんですよ。ビブラートなどの技法も、好きな歌い方を真似て習得しました。いわゆる我流なんです。

ーー幼い頃から歌手になることが夢でしたか?

木山 「歌手になりたい」という思いは子どもの頃から持っていましたが、家庭が厳しく、ピアノや習字、水泳、英会話や学習塾など7つの習い事に通う日々で、毎日必死でした。「歌手になりたい」という気持ちを親に伝えることができず、学生時代は勉強に打ち込んでいました。

でも大学生になり、ようやく自分の人生を考えるようになりました。実は、当時の夢は歌手ではなく、映画の脚本家だったんです。その夢を叶えるべく、24歳のときに上京、朝から晩までアルバイトをしながら、夜間に脚本家の学校に通っていました。

そんな生活を4年間続けていたのですが、芽が出なくて。27歳で結婚し子どもを授かったこともあり、28歳で夢を封印し、会社員になることを決意しました。

ーーそこから再び歌手を目指すことになった経緯を教えてください。

木山 これまで努力したことが報われず結果を出せなかった20代を過ごし、負い目がありました。でも会社員として働く中で、頑張れば成果が上がり、それに伴い評価も得られるようになりました。35歳で課長に昇格し、住宅も購入し、プライベートも順風満帆で、夢を諦めてよかったと思える日々を送っていました。

しかし36歳のとき、甲状腺がんを患い、命に関わるかもしれないという経験をしました。そして医師から「手術によって声が出なくなるかもしれない」と告げられました。その時、「歌いたい」という気持ちに引き戻されたんです。歌手になりたいという夢はずっと心の中にありましたが、脚本家の夢では結果を出せず、自分には才能がないと自分自身を否定しながら生きていました。

「命には限りがある」「唯一自信があった声が出なくなるかもしれない」

手術の前夜、様々な理由をつけてチャレンジしてこなかったことに後悔し、涙が止まらなかったことを覚えています。

「命が助かり声が残ったら、もう一度、夢に挑戦したい」

無事手術が終わり、転移もなく声も残りました。半年もしないうちに元の生活に戻ることができ、会社員として働きながら、様々な場所で歌い始め、複数のオーディションを受けました。

38歳のとき、年齢制限のない深夜のオーディション番組に挑戦し、これを機にデビュー曲となった「home」と出会い、長年の夢を叶えることができました。


▲CAP/39歳で夢を掴んだ木山さんのデビュー曲「home」 

挫折や転機とどう向き合い、どう乗り越えるのか

▲念願の歌手デビューを果たした木山さん(木山さん提供)

ーー再び歌手を目指す道を選ぶという一歩を踏み出せたのは、どんな思いがあったからだったのでしょうか?

木山 がんになった時、「僕は子どもたちに何を残せるんだろう」と考えました。子どもたちには、「うまくいかない人生でも諦めずに頑張っている父親の姿」を覚えておいてほしかったです。そして、歌が好きで、歌っている父親の姿も心に残してほしかったです。こうした家族への思いが、オーディション番組にエントリーしようと思えたのだと思います。

ーー病と向き合ったご経験は今の木山さんにどのように繋がっていますか?

木山 がん自体はもう二度と経験したくないと思いますが、この経験を通して初めて「自分の人生の主人公は自分だ」ということに気づいたんです。ようやく自分に正直に生きられるようになりました。なので病気になった後の方が幸せを感じるんです。

この経験を経て、自分の子どもたちにも、自分で考えさせることを大切に子育てをするようになりました。

ーー挫折や逆境、転機を乗り越えようとしている人たちに伝えたいことはありますか?

木山 私はずっと失敗を恐れて生きてきました。バブル世代ということもあり「勝ち続けなければならない」という考えが頭を支配していました。何かに失敗した時には、才能が無いんだと自分を否定し、自分の価値を自分で下げて生きてきたんですよね。

でも、病気を経験し、「失敗してもいいんだ」と考えられるようになりました。失敗しても人生は終わりません。失敗した数の多い人の方が人に優しくなれ、次に成功する可能性も高まると思っています。

頑張った過程は決して無駄にならないし、いつか活きてくる瞬間が訪れると信じています。本当に自分がやりたいことを1年に1回でもいいので、見つめ直す時間を作ってもらえればと思います。

ーー物事や人との出会いが人生を変えることもあると思います。木山さんは「出会い」をどう捉えていますか?

木山  本当に出会いは大切だと感じています。自分の努力だけでは達成できないことも多いですが、人との出会いが夢の実現に近づける要素だとも思っています。

病気のあとに参加したオーディション番組も一つの大きな出会いでした。番組では、30人ほどの審査員からランダムに選ばれた5人の前で歌い、その中で1人でもオリジナル曲を書いてもいいという人がいれば、第1次審査を通過することができるという形式でした。

私の歌を聞いて手を挙げてくれたのは1人の審査員で、その審査員との出会いがなければデビューできていません。他の審査員の顔ぶれを見ても、その方が自分の審査員になってくれたことが奇跡だと感じています。

ただ、出会いは自分でコントロールすることはできません。でも間違いなく言えるのは、自分が本気で頑張ってる時に、こうした奇跡的な出会いが訪れるということです。だからこそ、人生を輝かせるためには、一生懸命、努力し続けることが大事なんだと思っています。

家族の力と「今できること」に集中することで乗り越える困難

▲家族という大きな力を胸に活動する木山さん(木山さん提供)

ーー4人のお子さんの父親でもある木山さん、ご家族の存在はどのように音楽活動に影響していますか?

木山 家族は自分の核そのもので、心の拠り所となっています。結婚して子どもが生まれたことで、戻ってこられる場所ができた感覚でした。子どもたちに歌う姿を見せたいと思って歌手を目指したように、様々なことにチャレンジできたのも家族の存在があったからだと思います。

会社員と二足の草鞋を履いて音楽活動を行ってきましたが、2019年に独立しました。その年に新型コロナウイルスが流行し、1年先まで仕事が全て無くなってしまいました。ここぞというときに良くないことが起きてしまう人生なんです。

でも、家族がいてくれたので「この状況でもできることがあるのでは」と考え、緊急事態宣言が出された4日後から2カ月間、YouTubeで自らの気持ちを歌で発信し続けました。こんな時代だからこそ、心豊かに生きていくためにも、心の拠り所となる音楽の必要性を感じた期間でもありました。

家族がいたからこそ、自分の気持ちを整理して、もう一回頑張ってみようと思えました。失敗したとしても、家族の元に戻れるという安心感が自分の支えになっています。

ーー困難に直面したとき、どのように活路を見い出してこられたのでしょうか。

木山 コロナ禍で歌えない間に、いろいろな種を撒こうと考え、オンライン上で多くの人と話すことにしました。そして「生きてさえいれば、いいことが起きる」という思いを込めて楽曲「生きて」を制作し、YouTubeで配信しました。

また、講演会を予定していた島根県の子どもたちとオンライン上で話をしました。入学式や卒業式などの行事が行えない中でも、たくましく笑顔で過ごす子どもたちの姿に感銘を受け、楽曲「生きて」を一緒に奏でる動画を作成することにしました。子どもたちが撮影してくれた歌う映像を編集し、YouTubeで発信しました。

さらに、仲の良い芸人・画家の人に、楽曲「生きて」を元に絵で表現して、仕上がっていく様子を撮影してもらい、それも映像にして配信しました。若い歌い手さんとの「home」のコラボレーションも生まれました。

このようにオンライン上でいろんな人と繋がったことで、新たな縁が生まれ、そのご縁は、直接会えるようになった後も続きました。い状況下でも種まきをし続けた結果、たくさんの芽が出てくれたのです。

動画/島根県の子どもたちとオンライン上で音楽を奏でる(YouTube動画)

未来を切り拓くために 歌と言葉で伝えたい思い

▲講演会で熱いメッセージを伝える木山さん(木山さん提供)

ーー講演会では、どのようなメッセージを伝えたいですか。

木山 「自分の力で自分の未来を切り開いていってほしい」ということです。このメッセージは、若い人たちにはもちろん、同世代の人たち、さらには先輩方にも伝えたいです。

自分がそうであったように、夢や目的を諦めずに前を向いて進めば、いくつになっても夢を叶えられると思うんです。自分の父親と同じ年齢くらいの男性が講演後に「もう1回、ギターを引っ張り出して頑張ってみようかと思う」と声をかけてくださったことがありました。自分も頑張ると言ってもらえる時が、幸せを感じる瞬間でもあります。

講演会では、自分の体験を1時間かけて必死で伝えています。そして残りの30分で、講演会のテーマに合わせた歌を必死で歌います。全力の1時間半をお届けしたいと思っています。

ーーでは最後に、木山さんの今後の展望をお聞かせください。

木山 講演会の中で「夢」をテーマにお話をさせていただいています。自分自身、ずっと心の中に秘めていた「歌手になりたい」という夢を39歳で実現しました。

ただ、夢を叶えることは簡単なものではなく、難しいチャレンジが必要ですし、失敗すると自分を否定してしまうこともあります。でも、夢がない人生よりは、夢に向かって頑張る人生の方が楽しく、キラキラと輝くんじゃないかと思っています。私は若い頃にがんを経験し、自分と向き合い、もう1度頑張ろうという思いで歌手になりました。

まだまだ僕には叶えたい夢があります。歌もそうですが、「物書き」になりたいという夢もまだ心に秘めています。これからも皆さんに前向きなメッセージが届けられるような講演会をお届けしていきたいと思っています。

ーー自分の心の声や思いと向き合い、自分で限界を決めるのではなく、自分自身を信じて挑戦することの大切さを改めて感じました。貴重なお話をありがとうございました

木山裕策 きやまゆうさく

シンガー がんサバイバー

2005年(36歳)の甲状腺ガン手術の際、声が出なくなる可能性を告げられ、歌手への挑戦を決意。08年メジャーデビューし、NHK紅⽩歌合戦出場を果たす。会社員・歌手と4人の子育てを両立しつつ、医療関係の講演活動も行う。現在は、キングレコードに移籍し、歌手・講演活動を中心とした生活を送っている。

講師ジャンル
ソフトスキル リーダーシップ
社会啓発 教育・青少年育成
文化・教養 文化・教養

プランタイトル

ガンが教えてくれたこと
~自分に向き合って見つけた夢~

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