1日100食限定、完売したら終わりーー。
そんな型破りな飲食店の経営手法で、フードロスと家族優先のワークバランスを実現し、第32回人間力大賞農林水産大臣奨励賞、日経WOMANウーマンオブザイヤー2019大賞など、数々の賞を受賞した中村朱美さん。2012年9月に「佰食屋」をオープンし、わずか3カ月で行列ができるようになり、2019年には4店舗まで店舗展開させました。
「売上より家族の時間」と話す中村さんに、インタビューを敢行しました。一時間半にも及んだロングインタビューを前編と後編に分けてお送りします。
前編では、1日100食限定の「佰食屋」をオープンした経緯、そして多くの人に注目された経営手法について詳しくお聞きしました。

■目次

家族皆で揃っての晩御飯。中村さんの基礎を培った子供時代

ーーまず中村さんのバックグラウンドについてお聞きしたいのですが、どのような幼少期を過ごされたのでしょうか?

中村 ホテルで働く父と専業主婦の母、姉の4人家族で、裕福とはいえない家庭環境で育ちました。母は家で内職をしていて、私もそれを手伝うこともありました。
私が小学校に上がる前まで父はホテルのレストランに勤務していたので、いつも帰宅は夜9時頃。眠たい目を擦りながら、父の帰りを待っていた記憶があります。

小学校になると、父は交通事故の後遺症が悪くなって立ち仕事ができなくなり、会計部門に異動になりました。毎日夕方6時きっかりに帰ってきて、夕食は家族全員で食卓を囲むという習慣が初めて出来るようになったわけです。それは、私が家を出る24歳まで続いていました。

しかし私が就職してからというもの、帰宅時間が遅くなると、一人で夕食をとることも増えました。そんな日が続くと、何だか嫌な気持ちになるのです。一人で夕食をとること自体、私のスタンダードではないということに気づきました。

▲小学生の頃の中村さん。毎年家族で初詣に行くのが恒例だった(中村さんご提供)

ーー家族揃っての晩御飯は中村さんにとってどんな時間だったのでしょうか?

中村 うちの家族は皆「食べる」ことが好きでした。特別な日に父が料理をふるまうこともあり、晩御飯の時間はその日の献立で盛り上がることが多かったです。大好きな人たちと大好きな食について話しながら美味しいものを食べ…それが、私の考える「幸せ」の基本です。

それから、父は、日ごろからご飯を作ってくれた人だけでなく、ご飯の材料を作ってくれた人たちに向かって感謝の気持ちを持つように言っていたので、食べ残しは許されませんでした。
食事の後は、美味しくても美味しくなくても必ず「美味しかったです。ありがとうございました」というようにしつけられていました。

▲食べ物の生産者や作り手への感謝を常に持ち続けるように教えた中村さんのお父様と一緒に(中村さんご提供)

ーー今、中村さんには2人のお子さんがいらっしゃいますが、今でもやはり「食」の話で盛り上がりながら、ご飯を食べるというスタイルなんですか?

中村 そうですね。特に夫も食べることが好きなので、2人で食事に行ったときには、ずっと料理の話ばかりしています。子どもたちもそんな私たちを見ているので、料理に興味はあるようです。食事を食べるときには作ってくれた人に感謝の気持ちを持って「いただきます」「ごちそうさまでした」とあいさつすることが我が家のルールとなっています。

ーーそういった「作ってくれた人への感謝の気持ち」が、フードロスを実現した「佰食屋」の経営姿勢につながっているのかもしれませんね。

オーストラリアのスローライフに感激

▲家族との時間を大切にするオーストラリアの人々の生き方に感銘を受けた留学時代の写真(中村さんご提供)

ーー中村さんはワークバランスにもこだわっていらっしゃいますが、そんなこだわりを持つきっかけは何だったのでしょうか?

中村 大学時代にオーストラリアに留学して、2人の子どものいる家庭にホームステイしていました。そこのお父さんはいつも夕方4時半きっかりに戻ってきて、家族と遊びに出かけていました。友達の家でバーベキューパーティーをしたり、近くの公園に散歩に行ったり…ゆったりと時間が流れているんです。
いつも目まぐるしい日本の生活と比べると、本当に驚くような生活でした。2人とも共働きなのに、疲れている感じがしないのです。家族との生活を謳歌しているというか…。なぜ日本でこんな働き方ができないのだろう、と疑問に思っていました。

ーーそういった疑問も「佰食屋」の経営姿勢に影響していくわけですね。

中村 そうですね。「佰食屋」は1日100食売れたら終わりで、開店して3カ月経った頃には夕方前には売り切れるようになりました。だから、いつも夕食は家族揃って食べられるようになりました

▲「できるだけ夫と一緒にいる時間がほしかった」と中村さん(中村さんご提供)

「佰食屋」を始めるきっかけも、夫と一緒にいられる時間を確保するためでした
当時、夫は不動産会社で働いていて、朝8時には出勤して、夜の帰宅は8時頃で休みは水曜日、一方私は専門学校の事務職をしていましたが、出勤の時間帯は同じですが、帰宅時間が夫より遅い日もあり、また休みも日曜日がメインでした。せっかく結婚したのに、夫と一緒にいられる時間が極端に少なかった。晩御飯も一人で食べることもあり、そんな日常にストレスを感じ始めていました。

転職も考えましたが、仮にホワイト企業に転職したとしても自分が役職の立場につくと残業も増えるし、自分で勤務時間をコントロールすることもできない。
オーストラリアのように自分の家族と過ごす時間が確保できるような勤務環境があればよいのですが、残念ながら日本にそのような環境はまだ整っていなかった。「ないんだったら、自分で作ろう」と思い、会社を作ることを決めました。

会社を作るという道を決めたものの、職種については全く何も考えていませんでした。夫に相談すると、すぐに乗り気になって、「せっかくなら飲食店をやってみたい」と言いました。夫は20年間不動産業界で働いていましたが、もともとは飲食に興味があり、「いつか飲食店をやってみたい」という気持ちがあったようです。

▲結婚した頃はあちこち食べ歩きをするのが二人の趣味だった(中村さんご提供)

開店のための準備期間はたったの3カ月

ーー2012年9月に佰食屋をオープンされていますが、転職を決めたのはいつごろだったんでしょうか?

中村 2012年4月末に転職を決めて、ゴールデンウイーク明けに上司に退職したい旨を申し出ました。7月末に退職し、8月に会社設立の準備をして、会社を立ち上げたのが9月、そして開店が11月という流れです。

ーーすごいスピード展開ですね。

中村 そうですね。決めてからが速かったです。飲食店を開店するための食品衛生管理者の資格(製菓衛生士)は、飲食店をやろうと決めた前から持っていたので、あとは会社の登録とか店や調理器具の手配をするくらいでした。
同年9月に会社を立ち上げましたが、実は夫は当初、私が飲食店経営をすることを信じてなかったようで、会社を立ち上げてからようやく会社に退職願いを出して、夫が退職してからわずか10日後にはお店がオープンしていました(笑)

▲テーブル席6席、カウンター8席のこぢんまりとした店内(中村さんご提供)

ーー今回の独立は、中村さんが主導されたのでしょうか?

中村 はい、私の方が先に突っ走って、夫はそれに引っ張られた感じですかね。

周囲からの批判的な意見もなんのその、わずか開店1月で黒字に

▲名物のステーキ丼。新鮮な国産牛と自家製ソースにこだわり、瞬く間に完売するように(中村さんご提供)

ーー最初、1日100食限定という経営プランを打ち出した時の周囲の反応はいかがでしたでしょうか?

中村 会社を設立した2012年9月にビジネスプランコンテストに参加しましたが、その時はまだお店も開店していなかったので、本当に実現できるモデルかどうかがわかりませんでした。周囲から「そんなん無理やろ」と言われましたが、反論できるデータがありませんでした。

夫は元トップ営業マン、私は広報担当をしていましたが、物売りのプロの立場で、どうすれば利益とワークバランスを追及できるだろうと考えた結果、1日100食限定という答えに行き着きました

時間ではなく、食数に視点を向けることで、経営者の立場からすると見込みが立てやすくなり原価や利益率も出しやすい。また、従業員にとっても、業務量が一定であるため繁忙期に感じるストレスもなく、売り切れたら終わりなので早く帰ることもできる。「目標数に到達したら上司よりも先に帰れる」という時間のインセンティブはとてもありがたいことを、会社員時代に夫も私も経験していたことなので、この経営モデルは成功するだろうと思っていました。

また、売るものは、国産牛のステーキ丼など3メニューのみ。ただし、材料にはこだわっているので、原価率は50%くらいです。
ちょうどFaceBookが上陸して、口コミで広がり、お陰様でオープンして1カ月後には2人で手が回らなくなるほど混雑するようになり、人を増やしました。

ーー早い段階で、中村さんのビジネスプランが間違っていなかったことを証明できたんですね。

中村 そうですね。成功すると信じていましたが、その一方で退路についても事前に考えていました。開店費用として夫と2人で貯めた500万円の資本金を投入しましたが、開店して1年後にこの資本金が底をついた、もしくは思った以上の売上が立たないときには、きっぱりとやめるということは決めていました。うまくいかなかったとしても、高い車を買ったと思って、次の仕事を探せばいい、というようなBプランも考えていました。

ーー当時は何時くらいに売り切れていたのでしょうか?

中村 最初は夜営業もしていましたが、2013年3月からは昼の営業時間だけで売り切れるようになりました。2014年は月に2〜3回くらい夜も営業をすることもあったんですが、2015年は完全に昼のみの営業としました。

美味しさへのこだわりから生まれた副次的な効果「フードロス削減」

ーー「佰食屋」の経営スタイルはフードロス削減にもつながっています。今、日本でフードロスは問題となっていますが、それについてはどうお考えですか?

中村 実は私は飲食店で働いた経験がないのです。飲食店で働いていれば、フードロスは日常茶飯事で、もったいないという感覚が麻痺していたのかもしれません。
フードロスは、そういった現場の感覚の麻痺から起こると思うので、それを知らなかったのは逆に良かったと思います。

私は単純に主婦の立場で、賞味期限間際の食べ物は「捨てる」のでなく「もったいないから使い切ろう」と思います。その気持ちは佰食屋でも生かされています。

うちの店には冷凍庫がないんですその日に使う分だけを仕入れて、その日に全て使い切るようにしています。お肉は一度冷凍してから解凍して使うと、肉のうま味が半減します。「美味しいものを美味しいうちに美味しくいただいてほしい」という気持ちがあるので、冷凍食品は一切使用していません。また、店も小さいので、多くのものを安いうちに仕入れて、置いておくということができません。
1日使う分だけ仕入れることで、美味しいものをお客様に提供できるし、結果フードロス削減にもつながります

ーー中村さんの経営スタイルはまさにSDGsのモデルのようですね。

中村 最初からフードロスやSDGsを意識してやっていませんでした。使い切らないで捨てるのは、それを作った人や生産者に対して失礼だという思いから、食べ残しや使い残しはしない、そして美味しいものを美味しく提供する、というコンセプトを大切にしています。

「やるだけやってみる」で続けてきた経営

ーー利益率とかではいかがでしょうか?

中村 あまり利益率とかは考えず、出したいものを適当な値段で出して、お金の流れを見てから、半年後とかに調整するようにしています。ひとまず、やってみないとわからないので、やってから後から調整という形ですね。

ーー最初は利益が出てなかったのでしょうか?

中村 最初の1カ月は赤字でしたが、2ケ月目から人手が足りないオーバーワーク気味で、黒字でしたが、人を増やして調整して、ようやく、利益と勤務時間のバランスが取れるようになりました。

ーー出たとこ勝負という感じでしょうか?

中村 そうですね。他の経営者やこれから起業する方と話す機会があるのですが、新しい経営プランを話すと「それってどれくらいの利益率が出るのか」とか「それでマネタイズできるのか」とリスクばかり気にして、なかなか新しいことに着手できないところもあるようです。

私はもともと根が適当で、かなりのポジティブ思考。ひとまずやってみて、やりながら組み立ててみて、失敗したらその時に改善策を考えればいいと思って、新しいことにチャレンジしています。それが私の機動力だと思っています。

ーーそういったチャレンジ精神のバックボーンはどんなところにあるのでしょうか?

中村 例えば、1人しか通れない扉があるとします。2人が同時にその扉の前に立った時、「お先にどうぞ」と譲るタイプの人と何も言わないで先に足をつっこむ人がいると思います。日本人の9割は、前者のタイプだと思いますが、私は日本人には少ない「先に進んでしまう人」。2人が譲るタイプなら、「どうぞ」「どうぞ」と譲り合って時間のロスになります。
私はその時間ロスをさけるためにも、自分が先にやってみようと意図的に学生時代から行動するようにしています。自分が先に扉を開けることで、その後の人たちが続きやすいだろうと。
だから、高校時代は生徒会長もやりましたし、率先して制服を変えることもしました。
周りがリスクを恐れているのであれば、私がまずは挑戦してみて、周りの人の不安を解消する。私はそんな役割を担っているんだと意識して、率先して新しいことに挑戦してきました。それによって、さまざまな成功体験をしてきましたし、それが自信となり、今のような「出たとこ勝負」の気質になったのだと思います。

ーーまさに「ファーストペンギン」(天敵のいる海へ最初に飛び込むペンギンのこと)的な立場なのですね。

中村 そうですね。色んな場面でそれは感じています。例えば、私は、電車に乗るときに「優先座席」に座ります。なぜかというと、実際に優先座席が必要な人がきた時に席をかわってあげるためです。時々、優先座席を必要としない人が座っていて、必要な人がきた時に譲ってあげないという光景も見てきました。だから、私は優先席を必要とする人のために陣取りをします。座っている時は、必要な人がいないか常に周りに目を光らしています。もし見つけたら、自分の荷物を席に置いて、その人を呼びにいっています。

このような行動を見れば、だれかが私の真似をしてくれるかもしれない。だから、私は普段の行動だけではなく、経営においても「誰よりも先に飛び込む」ことを実践しています。

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中村朱美  なかむらあけみ

株式会社minitts 代表取締役

経営者・元経営者教育・子育て関係者実践者

1日100食限定で、 美味しいものを手軽な値段で食べられるお店「佰食屋(ひゃくしょくや)」を2012年に開業、行列のできる人気店へ成長させる。ランチ営業のみ、完売次第営業終了という飲食店の常識を覆す経営手法で、飲食店でのワークライフバランスとフードロスゼロを実現。。

プランタイトル

みんなに必要なあたらしい働き方
~仕組みで人を幸せに~

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