誰もが迎える「死」。大切な人を看取る、そして大切な人に看取られる、これは誰もが経験することです。しかし「死」について家族や大切な人と話すことに抵抗がある人も少なくないのではないでしょうか。

今回は、看護師として1000人以上の看取りに接した、看取りにおけるコミュニケーションを伝える研修や講演を行っている後閑愛実さんに「死」との向き合い方などについてお話を伺いました。病院で非常勤の看護師として働く後閑さんは、コロナ禍では臨時医療施設での患者さんの受け入れや、能登半島地震の被災地の避難所支援なども行っています。
どう生き、どう最期を迎えるのか、医療現場での知見をもとに、私たちができることについて聞きました。

Your Image【監修・取材先】
後閑愛実

看取りコミュニケーション講師
看護師

 

なぜ「死」について考えることが必要なのか?

「死」と向き合うことは、恐れや不安を伴うかもしれません。しかし、その先には「今をどう生きるか」を考えるヒンが隠されています。

例えば、延命治療を選択するかしないかは、その人の「生きる目的」によって変わります。本人の思いを尊重するためには、元気なうちに「自分らしい生き方」や「最期の迎え方」を考え、周囲と共有することが大切です。それが患者さん自身の尊厳を守り、ご家族の後悔を減らすことにもつながります。

延命治療には明確な定義がなく、考え方は患者さん本人や家族、医療者によって異なります。例えば、心臓が止まったときに人工呼吸器や心臓マッサージを行うことを延命治療だと考える人もいれば、人工呼吸や人工透析、人工栄養のいわゆる「三大延命治療」を指す医療者もいます。

また、人工栄養といっても中心静脈栄養法、経管栄養法、経鼻経管栄養法、さらには皮下点滴や末梢点滴も含まれます。「この医療行為がなければ死んでいたかもしれない」という意味では、医療そのものが延命治療とも言えるでしょう。

「延命治療が良いか悪いか」ということではなく、医療や延命はあくまで手段であり、目的ではないのです。問題なのは「医療を受けること」や「延命治療をすること」自体が、いつの間にか目的になってしまうことです。

「死」を考えることは、「生」を見つめ直すことでもあります。延命治療や医療の選択は、その人の人生の目的や希望があって初めて意味を持つのです。

最期の瞬間をどう迎えるか ~人生の総括を家族と共有する~

多くの人は、死の直前に意識不明の昏睡状態となり、意思疎通ができないまま最期を迎えます。最後に何かを伝えたいと思っても、思うようにいかないケースが少なくありません。

ある患者さんの最期の場面をご紹介します。肺がんで入院していた70代の男性患者さんは、もともと積極的な治療は行わないと話し合われていて、ご家族とも延命治療をしないことを確認していました。

「苦しくないかい?」
「俺は大丈夫だよ。お前たちは身体を大事にな。」

急変の連絡を受けて病院に駆け付けた奥さんと、互いを気遣う言葉をかけ合い、患者さんの息が止まった後も、奥さんはしばらく声をかけ続けていました。その時間は、ただの最期の時間ではなく、家族にとってかけがえのない思い出として刻まれたのです。
治療を続けていれば、もう少し長く生きられたかもしれませんが、患者さんが望んだ会話は叶わなかったでしょう。

生きている限り、触れ合いの温もりや心臓の鼓動を感じることができます。そして、声は最期まで聞こえているとされています。たとえ言葉を交わすことができなくても、旅立つ人に別れの挨拶を伝えることはできるのです。

「命の長さ」を重視するか、それとも「残された時間をどのように過ごすか」を選ぶのか。その考え方は人それぞれです。最期の時間は一度きりの大切な瞬間です。患者さん本人の思いを尊重し、家族が寄り添うことで、その時間は意味深く、かけがえのないものになります。

縁起が悪い話だと避けずに、人生の総括について家族と話し合っておくことが大切です。

特に今は、多くの病院で面会制限が行われています。入院すれば、次に会うのは亡くなる時かもしれません。だからこそ「伝えたいことは、いま伝えておく」。それが後悔のない最期を迎えるための第一歩です。

家族と話し合うべきこととは? ~何を考え、何を伝えるか~

元気なうちに最期について話し合うことは大切だと分かっていても、「最期をどう過ごしたいのか」という話題を切り出すことに抵抗があるかもしれません。

そんなときは、次のような視点から話を始めてみてはいかがでしょうか。

「お母さんは、おばあちゃんを看取ったとき、どうだった?」
「ドラマで見た最期のシーン、どう思った?」

このように客観的な視点から「死」を考えることで、「自分のときはどうしたいか」という思いが浮かびやすくなります。

また、好きな食べ物や音楽、大切にしている思い出や習慣など「好き」という感情も、その人らしさを象徴する大切な要素です。
「何が好きなのか」「何を生きがいにしているのか」「何を大切に感じているのか」。
普段から、「その人らしさ」につながることを共有し語り合うことで、本人の「思い」や「その人らしさ」を理解し、共に最善の道を選ぶことができるのです。

例えば、認知症が進行し意識がもうろうとしている親に代わって、家族が治療内容などについて決断を迫られる場面も出てきます。「親とはいえ他人の人生を決めることが辛かった」と振り返った人もいます。
その人らしさが分かる会話を重ねておくことで、いざ決断が必要になったときにも「この人ならこう思うだろう」と感じることができるかもしれません。

「最期をどう過ごすか」。今は少し重たく感じるテーマかもしれませんが、いずれ訪れるその日のために、今から大切な人と向き合い、心の準備を始めてみませんか?

誰もが迎える「死」~幸せを感じられる生き方のヒントとは~

ここで、人生の意味を見つけ、幸せを見出すために、ヴィクトール・フランクルが提唱した「3つの価値」をご紹介します。ユダヤ人のフランクルは、ナチス・ドイツに囚われ、アウシュビッツの収容所で地獄のような経験をし、愛する家族も奪われました。それでも自暴自棄にならず、「どんな時も人生には意味がある」と唱え続けました。

フランクルが提唱する「3つの価値」

1.創造価値

自分の仕事や活動、何かを創造することに人生の意味を見出すもの。職業的な成果に限らず、家庭での役割や趣味など、自分が世の中に貢献しているという感覚も含む。

2. 体験価値

美しいものを見たり、愛する人と時間を過ごしたりすることから得られる価値。芸術や自然、文化、愛など、人生の豊かさを感じる体験がこれにあたる。

3.態度価値

自分の力ではコントロールできない困難に直面したとき、その状況にどのような態度をとるかによって見出される価値。同じ状況でも人によって向き合い方は異なり、それが人生の意味を形づくる。

みなさんは、それぞれの価値を思い浮かべながら、自身の人生をどう意味づけましたか。

まずは自分自身が幸せでないと、他人に優しくすることはできません。自分の人生にどんな意味があるのか、改めて考えてみてください。
仕事や日々の活動を通じて、家族や大切な人との時間を通じて、あるいは困難に立ち向かう中で、人生には必ず意味があります。自分の人生に価値を感じ、その価値を大切にすることが、最期まで自分らしく、幸せに生きることにつながっていくのです。

いま私たちができることを大切な人とともに

後閑さんの講演では、実際にあった様々な看取りの現場や、「死」を迎えるまでに何が起こるのかなどについて、そして、今から私たちがすべきことを具体的にお話いただきます。

また、医療・福祉・介護職の人たちを対象にした研修もあり、人の最期という、かけがえのない時間を穏やかに過ごせるよう、どのように向き合うべきなのか考える時間をご提供しています。ぜひ研修や講演の実施をご検討ください。

後閑愛実 ごかんめぐみ

看取りコミュニケーション講師 看護師

1000人以上の患者の看護に携わる中、いのちの場面に立ち会った経験から学んだことを生かし、現在、病院の非常勤看護師として勤務する傍ら、研修、講演、執筆などを行っている。講演会、トークイベントで、参加者から感謝と感動の声が続々と寄せられている。著書に『後悔しない死の迎え方』。

プランタイトル

「これでよかった」と納得できる看取りケア
~いのちの終わりの向き合い方~

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