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芝田山 康
しばたやまやすし

第62代横綱 大乃国  公益財団法人日本相撲協会 理事

第62代横綱 大乃国  公益財団法人日本相撲協会 理事

1978年初土俵。84年の春場所では3横綱・3大関を総なめにする驚異の記録を残した。85年大関昇進。87年の夏場所で全勝の初優勝を果たし、同年に横綱昇進。88年春場所で2度目の優勝、91年引退。 現在は後進の育成はもとより、NHKの解説、・バラエティ番組の出演など多方面で活躍している。

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芝田山 康のプロフィール

■職歴・経歴
1962年生まれ。中学3年の時、柔道の北海道大会で個人優勝を飾り、多数の高校から柔道進学でスカウトされるが、振り切って大関・魁傑の内弟子として花籠部屋に入門。3年後の1981年2月に元・魁傑の興した放駒部屋に移る。1982年3月に十両昇進、一度幕下に落ちるが、同年11月には再十両に上がり体重も125キロから145キロに増えた。1983年1月 十両優勝、翌3月場所には20歳で新入幕。同年11月 場所では千代の富士・隆の里・北の湖の3横綱を破って初の殊勲賞受賞。1984年3月、3横綱・3大関を総なめにする驚異の記録を残した。1985年9月大関に昇進、右差し左上手を取っての寄りには圧力があった。
1987年5月幕の内最高優勝を全勝で飾り、横綱昇進への足がかりを作った。同年9月場所後に待望の横綱に推挙され昇進した。横綱3場所目の1988年大阪場所では北勝海を本割・決定戦と勝利し、みごと逆転優勝を飾り、当時の春日野理事長が常々言っていた「大横綱常陸山の様な横綱になれる」と言う言葉が現実となるかと期待されたが、睡眠時の無呼吸症・右足首骨折等により、ついに大器を惜しまれつつ1991年7月場所、中日を終えて引退を決意した。引退後は年寄り大乃国襲名、1992年3月監察委員に任命、1993年3月年寄大乃国から芝田山に改名し審判部委員に任命、1996年3月より巡業部委員に任命され1999年6月放駒部屋より独立、芝田山部屋を設立。
2014年 公益財団法人日本相撲協会副理事就任、巡業部副部長任命。
2018年 公益財団法人日本相撲協会理事就任。

■著書
『第62代横綱大乃国の全国スイーツ巡業』(日本経済新聞出版社)
『負けるも勝ち』(ダイヤモンド社)

■通算成績
560勝319敗 勝率・6割3分7厘
優勝2回・殊勲賞5回・敢闘賞2回  
得意手・右差し、寄り

講演タイトル例

+ 負けるも勝ち 
~相撲とは 人生とは~

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