青木辰子
あおきたつこ
パラリンピックメダリスト
パラリンピックメダリスト
2度の重度障がいを乗り越え、アルペンスキーヤーとしてパラリンピックメダリストまで上り詰める。現在はアーチェリーで東京2020出場を目指して鍛錬の日々。「障がいを負ってしまっても、これから先の人生には無限の可能性がある」ということを証明するため、不屈の精神で困難に立ち向かい実現してゆく。
属性 | スポーツ関係者・指導者 |
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属性 | スポーツ関係者・指導者 |
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講師ジャンル
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社会啓発 | 福祉・介護 | 人権・平和 |
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プランへ移動青木辰子のプロフィール
■経歴
18歳の時、中学・高校の6年間続けていた器械体操で右膝を痛め、手術後片足麻痺となる。
20歳で障がい者スキーと出会い、障がい者アルペンスキーヤー(片足障がいの部)として、国内・国外含め多数大会にも出場。
32歳の時、スキーの練習中に左膝靭帯損傷し、再建手術後下半身麻痺となり、車椅子使用者となる。
スキーの楽しさが忘れられず、車椅子使用者用のチェアスキーヤーとして2年後に現役復帰。
その後国内外の試合に多数出場し、数々のメダルを獲得する。
2014年、ソチパラリンピック出場を目指し練習中、右肩を怪我する。
なんとか復帰を果たしたが、代表選考落ち。怪我からの復帰は壮絶であり、スキーでは全てやり尽くし、思い残した事はひとつもなかった為引退。
次に何を始めるか考えていた時にたまたま浮かんだのがアーチェリー。
夢は東京2020。生涯現役=輝き続ける(笑顔の自分)、を生涯の夢とし、今も現役アスリートとして鍛錬の日々。
■パラリンピックでの主な成績
1988年 インスブルック大会 回転7位(片足の部で参加)
1998年 長野大会 回転2位
2002年 ソルトレイク大会 大回転5位
2006年 トリノ大会 回転3位
2010年 バンクーバー大会 回転4位
■主な著作物・マスコミ活動ほか
・NHK教育TV福祉ネットワーク 青木辰子特集(複数回)
・TBS-TV 朝ズバ 他、新聞等取材多数
・2012年度から三省堂・開隆堂・東京書籍発行の中学生向け英語副教材「英語のパワーワーク」に掲載中
業務外の講師への取次は対応しておりません。