提供する価値・伝えたい事
私は現在、房総半島の真ん中の里山で農的暮らしを実践しております。
大正時代の古い民家を借り、そこの住民が耕していた畑や田んぼを引き継いで暮らしています。季節ごとの野菜と、一反歩ほどの田んぼから獲れる300キロ前後のお米、庭に放し飼いにしたニワトリの卵、裏庭の竹やぶから獲れる春先の筍、フキ、ウド、ミツバなどの野草、梅、栗、柿などの果樹、ホダ木に菌を打ち込んだシイタケやナメコ等々。贅沢を言わなければとりあえず家族4人が生きていける食べ物は自給できています。
自分の生命をまがりなりにも自分で支えている!という事実は本当に素晴らしいものです。この「事実」によって私は本来の自分を取り戻したと断言することができます。
私はプロの農家ではありません。百姓仕事の真似事をしているにすぎません。しかし、それでも「土」を通して自然と触れ合える充実感、喜びを感じることはできるのです。現在、日本中の「田舎」のいたる所で過疎化・高齢化進行しています。主を失った家・畑・田んぼ・山が急激に増えて、荒廃が進行しています。農業の新しい担い手が現れなければ荒れるばかりです。
新しい担い手を都会から迎えるための橋渡し的な役目の必要性も痛感しています。しかし、その前に農業の素晴らしさを多くの人々に、とりわけ定年を迎えセカンドライフを模索している方々へ伝えて行きたいと思っています。
内 容
◎自分自身を回復することは、自分自身の内なる自然を回復すること
もともと私たちは自然の一部であり、自然に生かされて、自然と共に暮らしてきました。しかし、いつの頃からか、私たち人間は自然を支配し、自然をいかようにも改変できると思い上がってしまいました。気がついたら私たちの周囲から自然が姿を消し、太陽や月といった自然のリズムから離れ、一分一秒を争う人工的な時間の真っ只中で自分自身を消費していたのです。そのことに、いま、多くの人々が気づきはじめています。そして、どうすればそこから抜け出すことができるのか模索しはじめています。
答えは明白です。失われた自分自身の「自然」を取り戻すことです。まずは「自然」を感じることです。「自然」を感じるためにはいろいろな方法があります。たとえば登山、ヨット・・・など。でも誰にでもできる最善の方法として、私は「農業」をオススメします。
農作業は、自然を知ることであり、農作業を通して自然の奥深さ、真の豊かさ、神秘さに近づいて行くことができます。従って農作業は、一度始めたら終わりがないほど深い世界ですから、ひとたびその良さがわかってしまったら、確実に途中でやめられなくなります。そして、畑から田んぼ、山仕事へと興味が広がり、やがて衣・食・住といった人間の暮らし全般、つまり農的暮らしへと進行していくのです。残された人生をどのうように過ごされようと、勿論自由ですが、私は自分の体験から自信をもって農的暮らしうぃ選択されることをオススメします。
業務外の講師への取次は対応しておりません。