老人虐待・この悲劇の連鎖を断ち切るには

高見澤たか子
たかみざわたかこ

高見澤たか子
たかみざわたかこ

ノンフィクション作家
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提供する価値・伝えたい事

「虐待」とは何か

「老人虐待」が社会の注目を浴びるようになったのは、1994年に行われた高齢者処遇研究会による調査がきっかけでした。当時は「虐待とは何か」という定義も確立されておらず、このときの調査結果は、社会に大きな衝撃を与えました。家族による虐待がもっとも多く、虐待するほうも実は精神的な傷みを感じているという事実が明らかにされました。しかも「虐待」とは、暴力をふるうことだけではなく、「呼ばれてもわざと返事をしない」とか、「汚れたおむつをそのままにしておく」という無視や、「相手が傷つくようなことを言う」という言葉の暴力、また「無断で貯金を下ろして使う」というような経済的な損失を与えることまでを含め、介護者が「虐待」しているという意識もなく、日常的に行っていたことが、実は「虐待」にあたるのだということが、初めて一般に認識されました。親による子どもの虐待が、「しつけ」という理由で水面下に隠されていたのと同じく、近親者による老人虐待も、ごく日常的な腹立ちまぎれの行為くらいにしか考えられていなかったのです。近しい親族の間なのだから、多少のあつれきがあっても自然ではないか、他人がとやかく口出しすべきではない、といったような「常識」が、「家庭」という密室の中で定着してしまったわけです。これが対等の力関係の間で行われるのなら、ちょっとした感情の行き違いとか、虫の居所が悪かったためという理由で片付くのかもしれませんが、高齢者そのものが一般的には弱者であり、ましてや要介護の高齢者であれば、介護者から支配される立場にある存在です。抵抗できない相手にさまざまな形の暴力がぶつけられる・・・これが「虐待」なのです。

内 容

しばしばマスコミに事件として報道される老人虐待は、「息子が要介護の母親を殴って殺した」とか、「娘が母親を飢え死にさせた」などという陰惨な印象ですが、研究者の調査によると日本の「老人虐待」の傾向は、「暴力」よりも「無視」が多い傾向だそうです。虐待を繰り返しては、ひそかに自己嫌悪や罪悪感に苦しむ介護者も少なくないことが、最近の調査結果にも報告されています。
高齢者を看取った体験を持つ人が、「もっと母にやさしくしてやればよかった」とか、「いまなら夫のわがままを許せた」、「父に呼ばれても返事せず、かわいそうだった」という後悔にも似た言葉をもらすことがあります。これは、要介護者の死によって、介護から解放され、ようやく冷静な気持ちを取り戻したとき、だれもが修羅場での自分の態度や行動が果たして要介護者がどう感じていただろうか?辛く当たったりはしなかっただろうか?というような想像力がはじめて働くのではないでしょうか。「自分も心ならずも虐待をしていたかもしれない・・・」という思いが介護者を苦しめることになるのです。

こうした悲劇の連鎖を断ち切るにはどうすればよいか・・・
「介護」をめぐって家族が抱える精神的なストレスや肉体的な疲労は、実際に体験したものでなければわからないとよく言われます。家庭という密室の中で、何時終わるという予測も立たないまま心身の疲労と戦うのは、大変なことです。介護者にも心のケアと休養が必要なのです。ときには「よしよし」と慰めてもらったり、「えらいえらい」とほめられたり、単純なようでもそうした心理的なサポートがなければ、介護者のやり場のない気持ちは、「魔の衝動」となって要介護者へのさまざまな意味での「虐待」となり爆発するでしょう。
「虐待」という深い穴に落ち込んでしまう前に、介護者への心身両面のサポートがぜひ必要です。

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