マラソンから学んだ大切なこと

山本佳子
やまもとよしこ

山本佳子
やまもとよしこ

元 マラソンランナー ジョグ&ウォークアドバイザー
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提供する価値・伝えたい事

努力すれば必ず結果に表れるということを私のマラソン人生を通してお話します。
私は決して特別な人ではありません。父のスパルタ教育がなかったらアスリートとしての私が誕生することはありませんでした。父とのエピソードやスランプに陥ったときの回復の仕方、モチベーションの上げ方、誰でも手軽にできる健康体操など・・・みなさまの人生に私の経験が少しでもお役に立てたら嬉しいです。

内 容

◆スパルタ親父に鍛えられアスリートに。
高校一年生の頃、貧血で走れなくなる。増血剤を毎日注射しながら、特訓を受けていた。

◆走れない体になってわかったこと。
根本原因を知らなければ解決しないということを知る。目先のことにだけに囚われていてはいけない。

◆万全をつくしてうまくいかないときもある。
札幌国際マラソンにでたとき、準備は万全で出場したにも関わらず、スタートしてスグに踵を踏まれ靴がなくなる。やっと靴を見つけて、中腰になり履いていると、今度は後から来る走者に思い切り腰を蹴られて転んでしまう。
準備は万全でもアクシデントは起こることを思い知った。

◆震災で変わった私の人生。どんなときも先を見て決断することの重要性 
阪神大震災のとき、「ダイエー」に所属。震災後「ダイエーホークス」になり、神戸から福岡行きを命じられる。福岡へ行くことを拒否したため6年半いたダイエーを退社しなければならない状況に・・・。
その後、地元神戸の「ノーリツ」に1年契約で移籍。1995年「ノーリツ」に入って初めての大きな大会、札幌マラソンに出場する5日前、朝の練習中に足をくじく。伴走してくれている人とリズムが合わず、走行途中にほんの少し身体をよけようとしたところに溝があり捻挫。新しい会社でみんなの期待が集まっている中、棄権するとは言えず、鍼灸や注射で腫れを抑えて出場。出場はしたものの、成績はふるわず、そのときの無理がたたって手術。トップアスリートとしての選手生命が終わってしまった。

◆私を救ってくれた社長との出会い。
「ノーリツ」との契約が切れ無職になった私を「ムーンバット」の社長が助けてくれた。「やり残したことを全部やりなさい」と言って、選手人生をまっとうさせてくれた社長。そのおかげで選手として思い残すことなく現在の私がある。

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