想定する対象者
指導力を付けたい現場のリーダー
会社組織の中で、中間管理職の立場にいて上下関係に悩んでいる社員
提供する価値・伝えたい事
指導者にとって重要な事、部下育成法、中間管理職のマネジメント
内 容
(1)怪我のリハビリをきっかけに始めたトライアスロンにのめり込んでしまい、もともと有していた教員という安定した職業を捨て、プロトライアスロンの道に進むことになります。
競技専念後は単身渡米し、日本のトライアスロン界のパイオニアとして活躍し、一時代を築きました。
(2)1998年に競技を引退後、「働くとは何か?」を自らに問うために、志願して100日間地下鉄工事現場で働いた経験をも持っております。
(3)その後、指導者に転向し、トライアスロンが五輪正式競技となった2000年シドニー五輪では代表監督に就任し、アテネ、北京、ロンドンともに代表監督やコーチとして携わってきました。
講演や研修は対象に合わせたお話ができるように様々なバリエーションを用意しております。
3つの種目を一人でこなす過酷なスポーツ「トライアスロン」は、
練習をただ積むだけではなく、最後は自己との戦いに勝たなければならない。
苦しさの中でも冷静な判断が必要となってくる。
国際人としても通用する自立した選手を育てるためには何をすれば良いのか。
自ら世界に飛び込み、世界で学び、プロトライアスリート第一号となった飯島氏が
選手時代にどのように自信をつけて来られたのか、また指導者として何を考え実践しているのかお話します。
根拠・関連する活動歴
野球の名門高校の顧問としてチームを甲子園に導く。
その後、怪我のリハビリとして始めたトライアスロンにのめり込み、それまでの教員と言う安定した職業を捨て、
本格的にトライアスロンの活動を始める。
1987年に日本初のプロトライアスリートとなり活動を始める。
引退後は指導者として活動を始め、トライアスロンが五輪正式競技となった2000年シドニー五輪では代表監督、
2004年のアテネ五輪では三宅義信総合監督(ウェイトリフティング・ローマ五輪、東京五輪金メダリスト)のもと、
女子ヘッドコーチを務めた。
そして2012年のロンドンオリンピックではトライアスロン日本代表監督して出場した。
業務外の講師への取次は対応しておりません。