提供する価値・伝えたい事
終戦直後の長崎県五島に生まれ、貧しさの中で野球と出会った。
島を出て野球に賭けた高校、大学時代は激しい競争と上級生からの連日の“指導”に歯を食いしばって耐えた。
経済的に厳しい中、無理をして島を出してくれた両親への思いが踏みとどまらせた。
東京で過ごした大学時代は学費を稼ぐためシーズンオフには36時間通しで働く過酷な置き流しのアルバイトを1ヶ月やり抜き、指導者となってからは当時の理事長からの強烈なプレッシャーにも屈せず戦い抜いた。
常に頭にあったのは「なにくそ!」の一言。
約50年に及んだ指導者人生の中で選手たちに厳しく接した一番の理由も難関だらけの社会を生き抜く「なにくそ」の力をつけてほしいとの思いから。甲子園最多勝監督の激しく熱い野球人生に迫る。
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