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春日良一
かすがりょういち

スポーツコンサルタント 五輪アナリスト

スポーツコンサルタント 五輪アナリスト

日本体育協会、日本オリンピック委員会に17年間勤務。オリンピック運動に共鳴し、オリンピックの渉外担当として活躍。長野五輪招致には渉外参事として奮闘。五輪を招致した男の異名を持つ。日本選手団渉外担当としてオリンピックの現場を知り、オリンピックに造詣が深く、オリンピズムを熱く語る。

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講師ジャンル
文化・教養 文化・教養

春日良一のプロフィール

■職歴・経歴
スポーツコンサルタント、五輪アナリスト
1955年6月22日、長野県諏訪市に生まれ、長野市中条で育つ。
1978年、上智大学で哲学を学び、卒業後、財団法人日本体育協会(体協)に就職。語学力を活かし、国際畑を歩む。
1982年、国際オリンピック委員会(IOC)第7代会長サマランチ氏の初来日にJOC職員として随行。信頼を得、以来、IOCとの折衝窓口として活躍。
1989年、体協から独立した日本オリンピック委員会(JOC)に移り、第96次IOC総会の運営を一手に任される。
1991年、国際業務部参事となり、JOCの渉外を仕切る一方で派遣業務にも携わり、アジア競技大会ならびにオリンピック日本代表選手団本部員を5大会経験。IOC、各国NOC、大会組織委員会などスポーツ国際機関とのネゴシエーターとして手腕を発揮する。
また、長野冬季五輪(1998年開催)の招致活動ではそれまでに築いた国際的な人脈を駆使し、世界を飛び回り、情報活動を展開、大会招致成功に大きく貢献し、後に「長野五輪を招致した男」という異名を持つにいたる。
招致成功後の1993年からは、企画広報部責任者として五輪関係イベント企画制作やオリンピックマーケティングに携わる。JOC第二エンブレムをコシノジュンコ氏とプロデュースし、1994年リレハンメル冬季五輪の日本代表選手団応援歌「そして冬が来る日に」を制作した。
1995年独立し、日本初のスポーツコンサルティング会社(有限会社ゲンキなアトリエ)を設立。代表取締役に就任、国際スポーツ交流イベント、アスリート支援等を手掛ける。
中でも「スポーツで平和な世界」というオリンピズムの実践として、1995年にボスニア紛争下のサラエボ(オリンピック開催都市)にUNHCHRコンサルタントとして入り、子どものたにスポーツを通じた支援にチャレンジし、翌年、1996年にはサラエボの子どもたちを日本に招き、スポーツ交流プログラムを展開したことは、社会貢献型のスポーツビジネスのプロデュースとして画期的なものであった。
1998年からメールマガジン「スポーツ思考」にてスポーツと五輪を哲学的に論評している他、日刊ゲンダイ、ダイヤモンドオンラインなどでも健筆を振るっている。
東京五輪招致関連で、2013年9月6日放送のミヤネ屋にゲスト出演し、東京得票数を的確に予想し、以来、様々な情報番組に出演。オリンピズムに基づいて真摯なコメントを提供している。(ミヤネ屋、ひるおび、ワイドスクランブル、朝まで生テレビ、深層NEWS、サンデージャポンなど多数)

講演タイトル例

  • ミヤネ屋出演
  • テレビでコメンテーター
  • サンジャポ出演

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