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日本一難しいとさえいわれる灘中学の入試を突破し、晴れて灘校の生徒となった子どもたちの本当の姿を知る機会は少ない。彼らはどのように育ってきたのだろうか。
幼い頃から「お受験」の世界で勝ち残ってきた子もいれば、小学校の高学年になって突然頭角を現し、あっという間にゴールを駆け抜けた子もいて、本当に興味は尽きない。彼らの育ってきた家庭や灘校での彼らの真の姿から得られる教訓は何か。
内 容
2005年春の大学入試において、灘校生が残した合格実績は驚異的なものだった。その実績の中で、もっとも注目を集めた合格者数(カッコ内は浪人生)は、東大理3 18人(3人)、京大医学部 19人(3人)、阪大医学部6人(8人)の合計43人(14人)だった。
定員が減って文系の超難関となった東大文1も11人(7人)合格しているし、新興の進学校とは違って、京大医学部もすべて医学科だけの数字である。そんな彼らは、一体どのように育ってきたのか。
たとえば、灘中受験のために通っていた大手進学塾で、本人に負担がかかりそうな遅い時間の授業は、父親(時に母親)が代理で出席してノートを取り、家で勉強していたA君。彼は、灘中進学後もすくすくと成長し、高校1年で受けた高3対象の全国模試で、すでにトップクラスの成績。高1で理3を受けても間違いなく合格だったが、高3で受けた東大入試実戦模試では、東大志望者ばかりが受けて平均点が20点程度の数学(120点満点)で100点以上の成績を取り、偏差値が100を超えた。偏差値100オーバーは、ほとんど奇跡に近い。一方、勉強以外のエピソードにも事欠かない。
たとえば、文化祭でクラシック研究会が催すコンサートは、音楽好きの人たちには大人気で、毎年音楽室に入りきれないほどのファンが集まる。また、卒業式では、卒業生の名前が呼ぱれるたびに、在校生が競って先輩に声をかける伝統があることなどは、あまり知られていないのではないか。そのため、クラブ活動や生徒会など、いろいろな活動に積極的に参加してきた卒業生にはたくさん声がかかるので、「勉強そっちのけで、他のことばかりしてきた」灘校生には、晴れの舞台となる。そんな灘校生の本当の姿に迫ってみたい。
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