気づくことで高まる人権意識
~差別をなくして最高の笑顔を

桂 七福
かつらしちふく

人権・平和

桂 七福
かつらしちふく

落語家
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提供する価値・伝えたい事

身近な会話の中に「おや?」と思ってしまうことって無いですか?落語のようにお笑いのエッセンスと落語的誇張で笑いながら「おや?」「あれ?」と思ってもらえれば嬉しい限りです。話の中で私が出会った「がんばっている人」の言葉や活動をどんどん紹介していきます。活気のある人権講演会もいいんじゃないですか? 笑顔がもたらす大きな効果もあるんです。自分も幸せな気持ちになれますし、周囲の人も明るい笑顔になれるはずです。

今までのイメージを脱してもらいたい。「差別はいけない」という教育は進んでいるけれども、やはり根強く残っているのが「偏見」ではないだろうか?
肌の色の違い・信じる宗教・生まれた土地・身体や心の病気・職業…。その根本を挙げればきりがない。
私自身が体験した、大人の嫌な渦巻きがどのようにして子どもの世界に影響を及ぼすか。そして、影響を受けた子どもたちの次にとってしまう行動は。その行動を受けてしまった私がその時何を考え、そしてどうなったか。
そこで出会った「いい大人」から受けた「いい影響」と「がんばるエネルギー」。
大人の何気ない言葉を子どもが耳にすることで「偏見」が植え付けられてしまう過程。また、それを防ぐためにはどうしたらいいのか?
身近にまだまだ残っている「差別」「偏見」。どのようにすればなくなるのかは分からない。でも、やめようとする活動は止めるわけにはいかない。

身近にたくさんの「偏見のもと」は隠れています。見つける必要もありますし、なぜいけないことなのかを説明する必要もあります。隠したままでいることが一番いけないことなのかもわかりません。黙って口を閉ざすことで誤解を広げることにもなるんです。

 みんなで「本当の笑顔」を積極的に求めていきませんか?

内 容

落語家の講演なのですから、まずは「笑いながら気づく」ということがモットーです。
落語を聴くように楽しい雰囲気の中で、何かを感じてもらえるように心がけてお話を進めております。
従来「人権講演会=つらい・悲しい・暗い」というイメージが定着してしまっており、講演会会場におこし頂く人が少なくなっているのが現状です。啓発意識が薄れているとは思いたくないのですが…。


私の講演の最後に必ずご紹介している「作文」の部分をご紹介します。残された数%にこだわって『識字学級に行くようになって』という作文です。
識字学級、ご存じだと思います。これは滋賀県のある町のおばあちゃんが書いた作文です。六十歳を超えたおばあちゃんがお書きになった作文ですので、私が代読で感情を込めずに読ませていただきます。お名前は申し上げません。

『私は、字が読めん。六十年以上誰にもよう言わんかった。読んだり書いたりすることができん。これでも、もうええと思ってた。けど、役場からの手紙が読めん。嫁の書いたメモも読めん。けど、私はこれでもうええと思っとった。けど、孫ができて孫に絵本読んでやりたいと思った。けど、誰にもよう言わんかった。
 ある日、思い切って主人にこのことを言うた。すると主人が、「今まで気づいてやれんで済まなんだ」って涙ぼろぼろ流して泣いた。私は怒られると思うてたから、主人が泣いてびっくりした。次の日、主人が役場から識字学級の本を持って帰って、「お前、行くか」と聞いてくれたので、「うん」て答えた。そして、主人が私のことを嫁と息子に話してくれた。息子も驚いて、「いまさらそんなん行くな。かっこ悪い」て言うた。私もそれを聞いてそのとおりやと思った。けど、そのとき嫁が「お母さんががんばりたいと言うてるのに、何が恥ずかしい。応援するのが家族でしょう」て息子を叱ってくれた。おかげで私は識字学級に行けるようになった。
 はじめは恥ずかしいと言っていた息子が、暑い日や寒い日や雨の日は車で送ってくれる。みんなが応援してくれたから、もう八年も行けてる。絵本を読んでやりたかった孫も、もう九歳になった。家では孫が私の先生や。学校で習った漢字をすぐ私に教えてくれる。私にはまだ読んだり書いたりできん字はぎょうさんある。けど、前より私は明るくなった。老人会で発言もした。まだまだ字、知らん人、いっぱいおると思う。私と一緒にがんばらへんか。』

という作文です。

識字の問題、これは同和問題、人権問題では大変大きなテーマの一つでもあります。
政治家さんが日本のことをよく海外とかで自慢をいたします。教育の度合というのを識字率という数字で表すことをよく用います。この識字率、日本の国民全部で平均を取るのと若干数字が変わってくるのですが、義務教育を受けるとされている小学校一年生からその上の世代、一歳から七歳までは除外して、七歳から上の世代で識字率というデータを取りますと、識字率、字の読み書きができる率というのは99.8%なんだそうです。99.8%。そういうのを踏まえて、先生方は「海外で日本の教育が行き届いていることを、日本は識字率がほぼ100%です。日本の教育は行き届いています。どうです、すばらしい国家でしょう」というふうに自慢をします。

けど、私自身は細かいところを突っつくようですが、この言い方はちょっと間違っていると思います。99.8%、残りが0.2%。その0.2%で苦しんでいる人を単純に切り捨ててしまって、うちはほぼ100ですと自慢するのはどうだろう。この0.2%の人たちにこだわることが、もしかするとものすごく大事なことではないかと私自身はそう考えています。
この0.2%の人、確かにごく少数かもしれませんが、ここで間違いなく苦しんでいる人がいるんです。この人たちのことをほぼ100というふうに、ないものというふうな考え方をしてしまうのは、多分私自身は間違っていると信じています。
ですから、私自身はこの0.2%の人たちのことにこだわりながら、いろいろなところでいろいろな話をします。いろいろなデータの取り方でいろいろな統計、いろいろな集計があります。大多数がよしとする考え方ではない。自分がもしかするとこの0.2%の中に入って苦しい立場に追い込まれる。どの統計でどのアンケートで入るかもしれない。そのときにポンと切り捨てられたらあまりいい気持ちがしないだろうから、その0.2、わずかの数字かもしれません。ごく少数の中でも苦しんでいる人が大勢いたら、そっちに目を向けて、ほぼ100%と言わずに、その0.2%をじっと睨みつけるような考え方を終始持っていたいなと思います。

「ことば」というのを皆さま方もこれから発信したり、言葉を耳にされると思います。「ことば」は、持っていきようで楽しめることもできます。たった一言で相手の心に深い傷を与えてしまうこともある。言葉というのは怖いものでもあり、また使いようでは楽しい言葉、人を支えていく、生き方を支えていく言葉にもなったりするそうです。私自身もこれから勉強を重ねてまいります。

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