皆川賢太郎
みながわけんたろう
元アルペンスキーヤー 一般財団法人 冬季産業再生機構 代表理事
元アルペンスキーヤー 一般財団法人 冬季産業再生機構 代表理事
2001年第一シード入り(日本人4人目)。その後の大怪我により長期の戦線離脱を経て復帰。カービングスキーに切り替え、04~05年シーズンW杯第8戦で4年ぶりの入賞。トリノ五輪で日本人として50年ぶりの入賞。12~13シーズンFar East Cupで総合優勝。2014年引退。
属性 | スポーツ関係者・指導者 |
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属性 | スポーツ関係者・指導者 |
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講師ジャンル
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ソフトスキル | 意識改革 |
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皆川賢太郎のプロフィール
■プロフィール
1977年新潟県湯沢町出身。北照高校(北海道小樽市)、日本体育大学卒業。
2001年、日本人4人目の第一シード入りを果たし、若くして日本のエースとしての地位を確立していたが、ソルトレイクオリンピック後に左膝前十字靱帯断裂の大怪我を負う。長期の戦線離脱を余儀なくされるものの、懸命なリハビリの結果、04年に競技に復帰。従来の長いスキー板からカービングスキー(短い板)に一早く切り替えた結果、04~05年シーズンW杯第8戦で4年ぶりとなる入賞。さらに05~06年シーズンW杯では自己最高となる4位を筆頭に安定した成績を残し、トリノオリンピックでは3位と100分の3秒差の4位に入り、日本人として50年ぶりの入賞を果たした。
しかし、バンクーバーオリンピックに向けスタートを切った矢先、右膝前十字靱帯を損傷し、再び戦列をはなれた。適切な治療とリハビリにより、当初の予定より2ヶ月も早く雪上に復帰し、07~08年シーズンのW杯全戦に出場。バンクーバーオリンピックでは攻めの滑りで挑むも、一本目で途中棄権となる。オリンピック直後、現役続行を表明し、11~12シーズンより実戦復帰を果たし、12~13シーズンはFar East Cupで総合優勝を果たす。
■経歴
1998年 長野オリンピック (男子回転)出場/2002年 ソルトレイクシティオリンピック( 男子回転)出場
2006年 トリノオリンピック(男子回転)出場/2010年 バンクーバーオリンピック(男子回転)出場
■主な成績
2000~2001シーズン ワールドカップ男子回転総合18位/世界選手権10位
2004~2005シーズン ワールドカップ(第8戦)7位入賞/ワールドカップ男子回転総合21位
2005~2006シーズン トリノオリンピック4位入賞/ワールドカップ (第5戦)4位入賞
ワールドカップ(第7戦)6位入賞/ワールドカップ(第10戦)7位入賞
ワールドカップ男子回転総合10位(第一シード復帰)
2006~2007シーズン ワールドカップ (第1戦)13位
2008~2009シーズン コンチネンタルカップ(志賀高原)優勝/全日本選手権(野沢温泉)優勝
2011~2012シーズン FIS Far East Cup(第3戦/中国)優勝
2012~2013シーズン FIS Far East Cup(第2戦/中国)優勝/FIS Far East Cup(第3戦/韓国)優勝FIS Far East Cup男子回転 年間総合優勝
■受賞暦
2010年 ナイスカップル大賞
■メディア出演
【TV】
フジテレビ「ジャンクSPORTS」/テレビ朝日「報道ステーション」/BS日テレ「スポマガ」/NHK「スポーツ大陸」
TBS「真冬挑戦者」/日本テレビ「Going!」生出演
業務外の講師への取次は対応しておりません。