内 容
人には不登校が必要なときがあります。これは、400人を超える方々に不登校について取材をした中で得られた結論です。
さまざまな理由で学校生活が合わなくなって、なぜ自分が、なぜ自分の子どもが、という疑問は当然生じます。しかし、ムリに学校に留まることはとても大きな苦痛になることもあります。
私は小学生のころ、中学受験のため塾に通っていました。
塾ではスパルタ式の教育を受けました。「偏差値50以下は将来がない」と言われ、何時間も続く勉強合宿などもあり、強いストレスのなかで生活していました。
結果として受験にはすべて落ちてしまいましたが、本当につらかったのは、受験に落ちたことではありません。
「勉強がうまくいかなければ人生がない」と思い込まされたことでした。
勉強ができない人間はダメな人間だという差別意識が、受験を通して自分に生まれてしまったのです。
差別は、他人に向けられることもありますが、自分自身にも刃を向けるんです。
受験に失敗した私は強い自己否定感を抱くようになりました。
進学した公立中学校ではいじめに遭遇し、学校環境にもなじめず、すべてがうまくいかなくなりました。
当時、号泣しながら「学校へ行きたくない」と言ったとき、母はただごとじゃないと思ったのでしょう、「わかった」と言ってしばらく休むことを提案してくれました。
このとき、休むという選択をしたことが私にとって救いになったと思います。
当時、「死にたい」と何度も感じるほど追い詰められていましたが、休むことによって状況は変わり始めました。
その後フリースクールに通い始め、不登校を支援するNPO法人に出会い、新しい道が開けたと感じています。
休むことは、私にとって必要だったのです。
私は多くの不登校経験者に取材をしてきました。
彼らの進路は多岐にわたります。サラリーマンや主婦といった一般的な職業から、国会議員、八百屋の店長、キックボクサー、科学者など、思いつくかぎりの職業に就いている人がいます。
現在では不登校を経験したあと、85%の人が高校へ進学しています。進学がすべてではまったくありませんが、不登校になったからといって、将来への希望が失われたわけではないのです。
文部科学省の不登校に対する方針も、近年大きく変わってきました。
2016年に成立された「教育機会確保法」を元に、2017年には学習指導要領の改訂が行なわれ、不登校というだけで問題行動と判断してはならない、学校復帰のみを求めるのではなく社会的自立を目指す、などの方針が加えられました。
それ以前には「学校復帰」を重視していた文科省ですが、2019年には学校復帰を重視するとした過去の通知を廃止しています。
私だけでなく、多くの不登校経験者が現在は社会の一員として生きています。国の方針も変わってきました。したがって、不登校でもどうか安心してほしいのです。
不登校の予防になるのが、親子の雑談です。
体調不良や不眠についていきなり聞けないので、「そのゲーム、どういうところが面白いの?」と尋ねてみます。
自分の好きなことを聞かれると、笑顔になります。笑顔が増えると、ポジティブになります。
不登校になった子どもは周囲の適切な関わりを受け、やがて心を回復させていきます。「暇だな~」と家で連呼し始めたら、子どもが何か大きな一歩を踏み出すサインです。
「暇」には隠れた深層心理があります。それは「安心」です。
「わが子が不登校になり、ずっと付き添ってきた親御さんからすると、『暇だな~』には結構腹が立ちます。『じゃあ、手伝って!』と伝えると、『あれ?暇って言った?』。そこから次の一歩が始まります。
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不登校の子どもを信じて見守るのは、生半可なことではありませんが、親御さんには『この子もぼちぼちやっていくんだ』と少し長い目で見ていってほしいです。
業務外の講師への取次は対応しておりません。