あど Run太
あどらんた
シンガーソングライター
シンガーソングライター
1948年生まれ。サラリーマン時代に同僚の死がきっかけとなり「自分に正直に行きたい」と音楽の道に転身。以後“人のために役立つ音楽”をモットーに音楽活動を展開。シンガーソングライターとして400曲以上ものCM ソングやイメージソングを手掛け、ラジオやテレビ新聞への出演もこなす。
属性 | 音楽・芸術関係者 |
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属性 | 音楽・芸術関係者 |
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講師ジャンル
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文化・教養 | 音楽 |
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あど Run太のプロフィール
1998年、少年問題をテーマにした「少年よ夢を持て!」を契機に、小中高等学校を巡演。
音楽活動が軌道に乗り始めたころ、三男が集団リンチにあい、家族の心の別離を知り強烈なショックを受ける。その苦しみも癒え、2000年には日本作曲家協会主催の第2回新しい日本の歌コンテスト自由曲部門で「笑おうよ!」がグランプリを受賞。作曲家・三木たかしより小田真のペンネームを贈られる。
02年沖縄音階による「夢なんて」の作曲が喜納昌吉氏との出会いを生み、平和と追悼の音楽祭“ヒロシマ祭り”が実現。
この間、01年悪性リンパ 腫で緊急入院するが奇跡的に立ち直り、闘病生活中も音楽活動を続け、入院患者と心の交流を図る。
退院後も各地の病院、学校各種施設などを巡演し、生きることの大切さ、人と人との深い繋がりあいを実感する。03年『ひろしまフラワーフェスティバル』にて宇崎竜童とジョイント。
04年『ビートたけしの奇跡体験!アンビリバボー』に出演し大反響を呼ぶ。
同年テレビ大阪『ボランティア21』の30分全国特番に出演。その後「だから私は町に出る」がエンディングテーマとなる。
著書に闘病の様子を描いた「笑おうよ!」がある。「病気をして、人の痛みや優しさがわかった。人のおかげで生きていられるんだと実感できた。愛を発信したいと心から思っている。」と語りかける。
その後、ガン患者やその家族を無料で招待し『命のライブ』を全国的に展開し続け、年間100ヶ所以上のコンサート活動を続けている。
2011年の東日本大震災以降、東北避難所ライブなども精力的に行っている。
広島市安佐北区にライブハウス「らん太ハウス」を経営。
広島市安佐北区にライブハウス「らん太ハウス」を経営。
業務外の講師への取次は対応しておりません。